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横浜中華街歴史めぐり

241201_ヨコハマ再発見

 

 

皆さん、こんにちは、今回からアットヨコハマのナビゲーターを担当させていただきます、横浜大好き!中華街

大好き!横浜出身、小田えりなです。どうぞよろしくお願いします。今回は、世界最大のチャイナタウン、横浜中華街の歴史巡りです。

 

 

ここで、横浜中華街の歴史をちょっとご紹介。

1859 年、横浜の港が開かれると、現在の山下町と日本大通り一帯に外国人居留地が設けられ、世界各地の人々が

訪れました。

 

 

「横浜商館真図」横浜開港資料館所蔵

20世紀初頭には華僑は5,000人に達するまでになりましたが、関東大震災が襲い、横浜中華街は壊滅的な打撃を受けました。

 

 

「中華街大通り」(絵葉書)横浜開港資料館所蔵 明治末~大正初期

しかしながら、昭和初期には約3,000人に回復しましたが、今度は第2次世界戦争が起こります。1945年の横浜大空襲では横浜の都心臨海部はもとより、中華街も一面火の海となりました。

戦後の復興はカオス(混沌)の中からスタート。1955年には初代の牌楼(ぱいろう)が建ち、高度経済成長を背景に街は発展。日中国交正常化を追い風に、現在の姿になってきました。 2000年ごろから中華街の魅力はより充実。その後コロナ禍という苦難も乗り越え、現在も進化中です。

 

いざ!横浜中華街の朝陽門から中に入っていきましょう。まずはスマホを用意して「アットヨコハマ」を検索!いざ出発。

 

 

朝陽門(ちょうようもん)東

写真奥に見える門は、日の出を迎える門、朝陽門。守護神は青龍神。色は青。 山下公園側にあります。2003年に立派な牌楼が落成し、中華街で最大の門となりました。2004年、みなとみらい線が開通後、『元町・中華街駅』からは、この牌楼を通って中華街へ入ることができるようになりゲート的役割を果たしています。

 

横浜中華街の10基の牌楼(ぱいろう・門)

横浜中華街には現在、10基の牌楼(門)が建っています。大通りにある善隣門(ぜんりんもん)は、シンボルとして有名ですが、その他に9基もあり、中でも東南西北の4基には深い意味があります。

 

東西南北の守護神たち

中国では昔から、皇帝が城を築くとき、天文博士に天意をうかがわせ、城内に入ってくる邪を見張り、これを見破るために東南西北に限って通路を開いて、各方位の守護神として四神(しじん)をすえました。

その守護神は東=青竜神(せいりゅうしん)、南=朱雀神(すじゃくしん)、西=白虎神(びゃっこしん)、北=玄武神(げんぶしん)。24時間、それぞれの守護神が邪を見張ることによって、城内の繁栄と安全をはかったのです。

横浜中華街もこの考え方で牌楼があります。

 

風水の基づく牌楼(門)

牌楼は、なぜ東・南・西・北にあってそれぞれ色が違うのか?それは風水思想に基づいて建てられているからです。風水思想とは中国の古代科学によるもので、ひとことで言うなら、人間が幸せを確保しようとするなら、天地=自然の影響と調和していかなければならないという考え方です。

 

まずは善隣門からスタートです。

 

善隣門

横浜中華街のシンボル的存在。1955年、戦後復興の願いを込めて初代が完成し、この牌楼が建つまでは「南京町」と呼ばれていましたが、中央の銘板に隣国や隣家と仲良くするという「親仁善隣(しんじんぜんりん)」という言葉を掲げ、「中華街」と書かれたことによって、正式名称として「中華街」と呼ばれるようになりました。現在の姿にリニューアルしたのは1989年、名称も「善隣門」に改められました。

 

 

延平門(えいぺいもん)西

平和と平安のやすらぎが末永く続くことを願う。守護神は白虎神。色は白。JR石川町駅から来ると2つ目の門になります。

 

 

朱雀門(すじゃくもん)南

厄災をはらい、大いなる福を招く。守護神は朱雀神。色は赤。元町側にあります。元町と中華街をつなぐ結節点にあります。

 

 

玄武門(げんぶもん)北

子孫の繁栄をもたらす。守護神は玄武神。色は黒。横浜スタジアムや関内への行き来はここからが便利です。

 

 

さてローズホテル横浜にやってきました。ここで待ち合わせをさせていただいたのは、横浜ユーラシア文化館副館長であり横浜中華街の歴史や文化の研究を永年してこられた、伊藤泉美さんです。

私、小田えりな、ここでじっくり横浜中華街の歴史や文化について展示パネルを見ながら、伊藤さんから改めて、勉強させていただきました。

 

 

ここローズホテルの2階にあるのは…

 

ホテルdeミュージアム「横浜中華街歴史回廊」

中華街の街中で常設歴史展示は現在ここだけ。(無料)そしてここのメイン展示が、翡翠(ひすい)色に彩られたアップライトピアノ。 このピアノは現在、全国で8台程度しか確認されていない「T・A・LEE―PIANO」の内の1台だそうです。1920年から45年まで横浜市堀ノ内町(現南区)に所在した李兄弟ピアノ製作所で1920年代末から30年ごろに製造されたものと言われています。静岡市在住の中山あおいさんが所有のものが、横浜開港資料館のお世話によりローズホテルが譲り受けることになりました。中山さんはこのピアノを90年ごろに購入。その際に、黒から緑色に塗り替えたとのことで翡翠色のエキゾチックなピアノに生まれ変わりました。

 

 

横浜華僑のピアノに光と縁

幕末に外国人居留地が開かれた横浜では、イギリスやドイツなどのピアノ製造会社とともに中国系の会社も存在。彼らは上海でピアノづくりの技術を学び、横浜に進出してきたと言われています。 伊藤泉美さんは「横浜華僑のピアノ製造史に光を当てる一台」と李ピアノを評価。またホテルに寄贈の話があった際、ピアノの名前が同ホテルの李宏道社長と同じ姓であることもあり、ご縁を感じたと話してくださいました。伊藤さんありがとうございました。

 

https://www.rosehotelyokohama.com/event/detail/8923/

 

さて中華街の歴史巡りで忘れてはいけない、華僑の心のよりどころである2つの神様にもお参りさせていただきま

した。

 

横濱媽祖廟( https://www.yokohama-masobyo.jp/)

祀られている媽祖(天后聖母(てんこうせいぼ)、天妃娘娘(てんひにゃんにゃん)、海神娘娘(うれんにゃんにゃん)は、約1000年前の宋の時代に実在した神通力をもっていたといわれる福建省の娘で、航海・漁業の守護神として、中国沿海部を中心に信仰を集める道教の女神。航海の安全を守る神様だけでなく、子宝の神様、安産の神様、縁結びの神様、学問の神様といった様々なご利益があると云われています。

 

 

横浜関帝廟(よこはまかんていびょう) https://yokohama-kanteibyo.com/

 

開港して間もない1862年、一人の中国人が関羽(かんうの木像を抱いて、現在の地にささやかな祠を開いたといわれます。以来、横浜中華街に住む人々の心の拠り所として親しまれてきた横濱関帝廟。祀られている主神は三国志の英雄として有名な実在の武将関羽(關聖帝君)。中国では「財神」すなわち金儲けや商売繁昌の神として信仰されています。

 

 

◆「こい旅横浜 ~中華街~」

文化観光ウェブサイト「こい旅横浜」は、横浜開港の地に立地し横浜開港の歴史と文化を伝える記憶装置としての横浜開港資料館と、横浜の伝統的な観光地を結ぶ、インストール不要のウェブコンテンツを開発しました。こちらのほうも試してみては…

https://koitabi.yokohama/

 

さて、小腹がすいたので、点心料理にチャレンジしようかな?

 

やってきたのは、関帝廟通りにある、「馬(まー)クッキングスクール」。中華街ではめずらしい、料理教室です。現在は不定期開催ですが、今後は料理教室を再開したいと準備中です。

まず馬さんに皮の作り方の手ほどきを…

馬さんは、上海から横浜に来て約35年。善隣門から2分のところに本店「マーさん店龍仙」はあります。(http://www.ma-fam.com/)

まずは手始めに、ニラ饅頭にチャレンジ…

 

 

とにかくパオ(皮)づくりに悪戦苦闘。ニラ饅頭が上手く行けば、本日のメインである小籠包づくりが始まります。

 

 

でも慣れてくるとちょっと余裕がでてきました!

 

 

こんな上手にできました。

 

 

馬さんの本店で試食させていただきました。

 

 

小籠包の歴史ですが、古く、北宋時代(960~1127年)にまで遡る説があります。1126年に北宋が滅んだ後、南宋を再興した趙構(ちょうこう)が南還した際に小籠包が南部に伝わったといわれています。その後、浙江省(せっこうしょう)・江蘇省(こうそうしょう)一帯の富裕層の間で好んで食べられ、1871年頃に上海で現代の調理法が確立されました。

食べた感想ですが…

肉汁じゅわっと、ニラ饅頭は、ニラとお肉の風味を閉じ込めては好吃(ハオツー・おいしい)でした。

 

横浜中華街に行くと、お店がたくさんあってどこに行くか迷いますが、今回小籠包作りをさせていただいた「馬さんの店」のご飯が本当に美味しかったので、皆に勧めたいなと思いました!

おなかもいっぱいになったので、ちょっとショッピング&ティータイム!

 

関帝廟近くの

アパレルショップ「ROUROU」に立ち寄ってみました。( https://rourou.com/)

オーナーの石河さんが出迎えてくれました。石河さん、中華街はもとより横浜の中心部の活性化にも欠かせない街の裏方的存在として有名です。

 

 

このショップ、モデル出身の早園マキさんが“ネオアジア”をコンセプトに立ち上げたファッションブランド。店内に並ぶアイテムすべてを自らデザインしています。オンにもオフにもマッチするアジアテイストの服や小物が1階・2階とあふれています。またこのお店のコンセプトが面白い!アジアのどこかにある争いのない理想郷・「朧朧国(ろうろうこく)」から商品をインポートするというコンセプトで、オリジナル商品を企画・開発しているとのことです。

 

 

さてショップ横の路地を入っていくと、出現。ここは、アパレルショップ「ROUROU」がプロデュースするCafe。(https://cafe.rourou.com/)

朧朧国(ろうろうこく)の路地裏にある、朧朧国に住むアーティストが集う場所、そんなイメージで作ったCafeです。 「ROUROU」の世界観を「衣」だけではなく、「食」とその空間からも感じて貰えればと代表の石河さん。とにかくお店が可愛くて、女子受け間違いなし。

 

 

私がいただいているのは、オールアバウトで「横浜で食べたいショートケーキ10選」にも選ばれた生クリームを注文後ホイップしてくれる、手作り感満載のスイーツです。(1,800円ドリンク付き)

いやぁ、心もおなかも満たされました。

 

 

中華街のエリア内にはその他にも、横浜ならではの「もののはじめ」の碑があります。皆さん探してみてね。

 

日本ラグビー発祥の碑

中華街の関帝廟通りにある山下町公園には、「日本で最初のフットボール(ラグビー)発祥地 横浜」と記された記念碑があります。

この碑は、横浜市が建てたもので、日本ラグビーの始まりを物語っています。日本におけるラグビーの始まりは、1866年に横浜外国人居留地で設立された「横浜フットボールクラブ(YFBC)」とされています。YFBCは、イギリス人を中心とする横浜在住の西洋人たちによって設立されたアジア最古のラグビークラブです。1873年12月には横浜公園で英国人たちがラグビーの試合を行い、これが日本で最初のラグビークラブによる試合だったと考えられています。

 

 

日本国新聞発祥の地

現在、日本全国で100紙以上が発行されている新聞ですが、そのはじまりの地が中華街にあります。 関帝廟の近く、「日本における新聞発祥の地」の石碑が建っています。この地はかつての居留地141番地。 開港から5年ほど後の1864年(1865年という説もあり)ここで、日本初の日本語新聞が作られました。

 

 

最後に今年横浜中華街発展会協同組合の新理事長になった進藤さわと新理事長(服飾雑貨店「チャイハネ」などを展開するアミナコレクション社長)に今後の中華街の話を聞かせていただきました。

 

Q1 横浜中華街ってどんなところですか?

「横浜中華街は中国人の街と思われるのは当然ですが、実は、「多文化共生の街」なんです。もちろん昔から住む

日本との華僑の良い関係を主軸に、様々な国の人が生活をしたり働いていたりしてきました。つい最近までは、現在のような観光地ではなく、市場通りは、普通に生鮮の買い物ができましたし、南門シルクロードなどは、床屋や時計屋さんが営業したりと、普通の店舗も多く、船から上陸した船員たちの買い出しの場でもありました。バー文化も有名です。」

 

 

Q2 今までの理事長が「食」の出身でしたが、進藤さんは「雑貨」。「食の街中華街」において、難しいと思われる部分はありますか?

「確かに私の本業は服飾雑貨です。中華街に雑貨を求める人より、食を目的に来る人が圧倒的です。そんな時、客観的にものごとを見て、素直に、食のことを優先ことができますし、食があるから雑貨もあるなど、多角的なものの見方もできます。」

 

Q3 理事長になって今度、取り組みたい事業は?

「いろいろとありますが、横浜市民を中心に「記念日は中華街へ」的な地域密着的な、また横浜の人たりが気軽に中華街でご飯を楽しむそんな企画を考えたいですね。

もちろん「横浜春節祭」のように、中華街からスタートした回遊型の春節イベントが、横浜の都心臨海部を巻き込み、横浜全体のお祭りにしていければ、きっと大きなまちの回遊を生むことができると信じています。」

 

進藤理事長ありがとうございました。今度はプライベートで中華街に食事に来ますね。

横浜中華街発展会公式サイト (https://www.chinatown.or.jp/hattenkai)

 

 

今日はここまで! お疲れ様でした。

 

私、横浜中華街には何度か訪れたことはあるのですが、なぜ横浜に中華街があるのか、とか歴史について考えたことがなかったので、学ぶことができて良かったです。

また横浜のことについて詳しくなれたので、もっと詳しくなれるよう頑張りたいと思います!

 

皆さんに龍が天空に登るぐらい幸あれ!

 

 

協力:(公財)横浜観光協会

写真:文藏 秀之

文・写真:小嶋 寛

 

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