今年、みなとみらいは着工40年を迎えます。開港以来、港町ヨコハマのみなとみらい周辺は、震災、戦災といった幾多の歴史を経て、戦後の重工業のまちから、多くの市民に愛されるまちに時代とともに変化をしてきました。
新しい横浜の骨格づくりとして1965(昭和40)年に打ち出された「六大事業」の都心部強化事業として登場したのが「みなとみらい21」です。今回はその40年の歴史を辿っていきたいと思います。また今回掲載をする写真の多くは、着工から40年を迎える「みなとみらいの記憶」を写真で魅せる「フォトクロニクル」の開催を記念して、写真を提供してくれた森日出夫さんが1960(昭和35)年代から撮影した貴重なものをお借りしました。
もちろん案内役は現役高校生の陣あいりです。あいりちゃん、今回も一緒に勉強しながら、素敵なまち、みなとみらい21をご紹介していきましょうね。
さて、スタートはいつも通り、おでかけアプリmy routeで検索!では出発です。
桜木町駅前広場でまず遭遇したのは・・・
2027年に旧上瀬谷通信施設跡にて開催予定の「GREEN×ESPO2027」カウントダウンボードが桜木町駅前広場に設置されています。このカウントダウンボードは、開催日の2027年3月19日まで、日数をカウントダウンしていきます。
「GREEN×ESPO2027」https://expo2027yokohama.or.jp/
©森日出夫
この写真は1989(昭和64)年に、来場者1334万人を集めた横浜博覧会(YES‘89)が、着工まもないみなとみらいで開催されたものです。地方博覧会として大成功をおさめました。その後、本格的なまちづくりがはじまることになります。
ではまず、桜木町駅から紅葉坂方向に徒歩約10分のところにある掃部山(かもんやま)公園に行ってみましょう。
「掃部山」の名前は、横浜の開港に貢献した大老・井伊直弼にちなみ付けられた名前です。井伊直弼は彦根藩の藩主で、井伊家の当主は代々「掃部頭(かもんのかみ)」と呼ばれていました。現在も公園内に建てられた井伊直弼の銅像が横浜の港の方を向いて立っています。
四季折々、季節感あふれる公園で、敷地内には、遊具広場や関東に現存する最古の能舞台を持つ、横浜能楽堂もあります。ここからの眺望ぜひ見てくださいね。あまり知られていない穴場スポットです。
ではここで40年前と今のみなとみらいを比較してみましょう。
1984(昭和59)年 ©森日出夫 手前は、大さん橋に停泊中のクイーンエリザベス2世号(当時)
©森日出夫 2023(令和5)年 現在の本牧付近からみたみなとみらい方面
写真で見ると1980年代当時は、三菱重工業横浜造船所、国鉄高島線(貨物支線)の東横浜駅および高島駅・高島ヤード(操車場)、高島埠頭、新港埠頭などの広大な港湾・業務関連施設が広がっており、横浜市の中心部に位置しているにもかかわらず、市民が気軽に立ち寄れるような場所ではありませんでした。そのため、巨大ターミナル駅である横浜駅周辺と、横浜港開港以来の中心市街地である関内・関外の2つの横浜都心(ツインコア)は長らく分断された状態が続いていました。そういった中心部の課題から、それまでの港湾・業務施設の機能を他所に移転させ、横浜都心部の一体化と都市機能の強化を目指した大型の都市開発を目的に、スタートしたのがみなとみらい21事業です。
日本丸メモリアルパークは、みなとみらい地区で最初に整備された公共施設の一つです。展示施設として帆船日本丸および展示ドック、横浜みなと博物館があります。日本丸と展示ドックは国の重要文化財に指定されています。
また、近接する、横浜ランドマークタワーの足元にあるドックヤードガーデンは、「旧横浜船渠第2号ドック」を保存・公開のために復元したものです。1896(明治29)年に竣工した「旧横浜船渠第2号ドック」は、現存する日本最古の商船用石造ドックです。
みなとみらいの整備に伴って横浜市と三菱地所が共同で調査、保存・活用が検討され、1993(平成5)年のランドマークタワー開業とともに復元・公開されました。1989(昭和64)年に「横浜市認定歴史的建造物」に認定され、1997(平成9)年には国が重要文化財に指定しています。
なお、「第1号ドック」は、現在帆船日本丸の展示ドックとして活用され、日本丸メモリアルパークの一部となっています。
日本丸メモリアルパーク;https://www.nippon-maru.or.jp/
1985(昭和60)年頃 ©森日出夫
ちょっと珍しい森日出夫さんの写真ですが、横浜ランドマークタワーやクイーンズスクエア横浜がまだ建設されていない当時を撮影したものです。
みなとみらいと鉄道線路を隔てた旧市街をつなぐこの高架橋は、当時の三菱重工業横浜造船所の正面入り口でした。高度経済成長期には、この正面は24時間稼働で、多くの造船所で働く人々の往来で賑わっていたと聞きます。
次にご紹介するのは、今年できたばかりの「Kアリーナ横浜」です。Kアリーナ横浜は、日本で一番新しい、音楽専用アリーナです。
運営は、ケン・コーポレーションの子会社であるKアリーナマネジメント。収容人数は約20,000人。開業は今年の9月29日。ご存じ横浜出身の「ゆず」のこけら落とし公演で幕が開きました。また音楽専用アリーナだけでなく、周辺には横浜初進出となるホテル「ヒルトン横浜」とオフィスビル「Kタワー横浜」も完成し、街区全体の名称を「ミュージックテラス」としています。
ミュージックテラス:https://music-terrace.com/
象の鼻パークにやってきました。大さん橋も見える横浜を代表する景色です。
©森日出夫1990(平成2)年 当時の象の鼻パーク周辺
この象の鼻パークも1990(平成2)年代前半までは、倉庫群でした。赤レンガ倉庫や東西上屋倉庫など「あぶない刑事(でか)」シリーズの舞台としてあまりにも有名です。
象の鼻テラス:https://zounohana.com/
©1984(昭和59)年 ©森日出夫 赤レンガ倉庫のセンタには引き込み線があった。
今回特別に、一般社団法人みなとみらい21の坂和伸賢理事長にみなとみらいの40周年について、お話を伺いました。
Q1 みなとみらいのこれまでの40年はどんな様子でしたか?
みなとみらいは1964(昭和39)年ごろから計画がはじまりましたが、造船所の移転の準備で時間を要し、1983(昭和58)年やっとの思いで工事が着工。これが40年前のスタートです。
それからご存じの通り日本経済の歩みと同じく、みなとみらいの開発も時代の荒波にもまれた40年だったと思います。不況により、ビルが建たないなどで本当に計画が実現できるのかが危ぶまれましたが、まず横浜美術館や日本丸メモリアルパーク、パシフィコ横浜など公共的施設が開業。その後横浜ランドマークタワーなどの民間工事がスタート。マンションも建設され、新高島エリア周辺には、日産自動車や京浜急行の本社などにみなとみらいに来ていただくことができました。現在では約96%の土地が開発され、約13万人の人が働き、年間約6,600万人が訪れ、約9,000人が住む街になりました。(坂和)
1985(昭和60)年 ©森日出夫 開発直後のみなとみらい
2023 ©森日出夫 現在のみなとみらい
Q2 記念イベントについて教えてください
ここからは、同法人中丸事業推進部長が中心にお話しいただきました。「現在みなとみらいは多種多様な人達が関わるまちづくり(エリアマネジメント)活動をしています、この40周年記念事業は、その総括をすると同時に、これからのまちづくりを考える契機にしたいという願いから計画を練ってきました。」と語ってくれた。
詳細内容については特設サイトをご覧ください。
みなとみらい40周年特設サイト:https://minatomirai21.com/sp/mm40th
Q3 これからのみなとみらいの役割やワクワクすることは・・・
東京湾のウォーターフロント開発を見てみると、みなとみらいには、幕張にも、お台場にもないものがあります。それは多種多様な企業や人材が、まちづくり、音楽、ミュージアムそして企業のイノベーションなどの主役になり、このエリアをフィールドに、日々躍動していることだと思います。音楽ホールも出そろいました。20か所近いミュージアムが徒歩圏にあります。また多様な企業が、手を取り合って共同研究(R&D)をしたり、発表したりできる、フェスティバルを開催するなど、これからの主役を担う世代がこの街を舞台にワクワクドキドキしながら活動していることは、みなとみらいならではの特色の一つではないでしょうか。あいりさんも、これからもぜひみなとみらいでワクワクしつづけてほしいですね。(坂和)
坂和理事長のお話、とても勉強になりました。大変ワクワクしました。
私も将来ミュージカルをみなとみらいでやりたいと思います。今は夢ですが、今日の取材を通じて夢を実現したいと強く思いました。本日はお時間を取っていただきありがとうございました。
さて取材はこれで一段落。
これからはみなとみらいに隣接する、荒井屋万国橋店でランチをすることとしました。
老舗の荒井屋の創業は牛鍋全盛の明治25(1894)年。創業者は荒井庄兵衛で、「開化のお味は路面電車のお値段で」と宣伝文句も堂もハイカラ。庶民の食べ物と謳(うた)い、牛めし・牛そばがチンチン電車の初乗り運賃と同額にしたのが当たったと言われています。秘伝の割下で煮込んだ牛鍋をビヤ酒(気発の酒・ビール)で楽しみ、その後で飯を食べるのがハマッ子の粋なスタイルになったと言われています。
今日ランチでいただくのは、定食「お手軽牛鍋」です。
今日の取材の後で両親に「今日、ランチで何を食べたの?」と聞かれたので「荒井屋さんの牛鍋」と言ったら、「ママも行きたかったわ」と言われました。
まずお豆腐から。主役の牛肉はこの後にたまごに絡めていただきました。
あーおなかもいっぱいになりました。前から来たかった荒井屋さん、ごちそうさまでした。今度は夜、家族できますね!
荒井屋:http://www.araiya.co.jp/
帰りは、象の鼻パークに戻って、気軽に呼べる水上タクシーに乗って日本丸まで約10分の船旅を楽しみました。
5名まで片道700円は安い!一人140円!(5人で乗った場合)
SUITAKU:https://suitaku.com/
今日はここまで!お疲れ様でした。
みなとみらい40周年記念写真展「フォトクロニクル」
https://minatomirai21.com/art-culture/66220
協力:(一社)横浜みなとみらい21
(公財)横浜観光コンベンション・ビューロー
特別写真協力:アマノスタジオ 森日出夫
取材写真:清水和城
レポート:小嶋 寛