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12月21日まで! 特別公開『小川雄一コレクション初公開 横浜の外国商社と舶来時計』 【横浜開港資料館】

横浜の外国商社と舶来時計

 明治政府は、近代化(文明開化)を進める一環として、明治51872に暦と時刻の制度を一大改革しました。これにより、従来の太陰太陽暦が廃止され、西洋で使われていた太陽暦が導入されました。これによって、日の出・日の入りによって時間が変った不定時法をやめ、時間の長さを一定とする定時法が採用されます。この変化で、人々の「時間」の認識や生活リズムが根底から変わり、洋時計(輸入された掛け時計や懐中時計)が一般に普及していきます。商館などが扱ったこうした舶来の時計は、「商館時計」と呼ばれる時代を築き上げました。※商館:商業を営む建物。特に外国人経営の商店 

 本展示では、令和6年度に寄贈された小川雄一コレクションの商館時計163点を含む関係資料から、時計の輸入の中心地が横浜であったこと、近代化を目指す日本に商館時計が与えた影響などを紹介します。

 横浜開港資料館(横浜市中区:館長 西川武臣)の白井拓朗調査研究員は、「商館時計といっても知らない方が多い。横浜開港(1859年)から居留地制度が廃止(1899年)されるまでの40年間に一時代を築き上げた『商館時計』を皆様に知っていただきたい」と語り、本展示の見どころについてお伺いしました。

※ファブル-ブラント商会の時計 横浜開港資料館所蔵

 

1.きっかけとなった祖父の時計

 すべては小川雄一氏の祖父 小川芳五郎氏が所有していた懐中時計から始まりました。この時計は、日露戦争時に小川芳五郎氏が満州へ、小川雄一氏の父も太平洋戦争時に持参し、いずれの戦地からも無事に帰ってきました。

 時計にはフランス語と日本語が刻まれ、コウモリが刻印されています。しかし、なぜフランス語と日本語が刻まれているのか、どこで作られ販売されていたのかは見当がつきませんでした。これはのちに横浜の外国商社が輸入した時計、「商館時計」と呼ばれるものとわかりますが、小川雄一氏は、この不自然かつ不思議な時計に興味関心を持ち、約40年にわたる商館時計の収集と研究をはじめました。

 

2.商館時計163個をすべて展示

 小川雄一氏は収集した商館時計を横浜開港資料館に寄贈し、自分の役目はここまでと考えていました。半年が経過した頃、西川館長から展示を開催する旨の連絡があり、最初は「まさかな」と思いました。「展示と考えていましたが商館時計163個すべてを展示していただけるとは思ってもいませんでした」と語ります。展示された全ての商館時計をご覧になった小川雄一氏は「こんなにあったのか」と改めて驚きました。

 時計は文明開化を象徴するモノとして、人々の生活に浸透していきました。明治期、多くの時計は外国商館によって輸入され、販売の中心地は横浜でした。展示している商館時計は、16社の外国商社ごとに分類されており大変貴重な資料と言えます。

※F.へロブ商会の時計と収納箱 横浜開港資料館所蔵

 

3. 商社や時計に関する館蔵・寄託資料も公開

 展示では商社ごとにマーク・形・収納箱・ポスターなど見た目・流通・ブランド、など特徴があり各社の違いをご覧いただけます。横浜が舶来時計の輸入の中心地であったことや、商館時計がもたらした「時間の意識」の影響なども紹介しています。

※シュオーブ・フレール商会のポスター 横浜開港資料館所蔵

 

◆寄贈した小川雄一氏の想い

 小川雄一氏は35歳~40歳頃から「なぜ祖父はこの時計を持っていたのか」ということに興味がわき、現在まで商館時計を追いかけてきました。収集した時計を収納する箱も和箪笥屋に依頼し、時計が12個入り、3段4段重ねられるように作っていただきました。時計は保存状態にもよりますが酸化して黒くなることもあります。寄贈前には、銀用の磨き布を用いて数ヶ月かけ磨き上げました。

 思ってもみませんでしたが念願叶った展示の開催となり、横浜開港資料館の西川館長やスタッフの皆さんに深く感謝申し上げます。この機会にぜひ「小川雄一コレクション」をご覧いただければ幸いでございます。

 

◆横浜開港資料館特別公開「小川雄一コレクション初公開 横浜の外国商社と舶来時計」基本情報◆

・会期 令和72025)年913日(土)~1221日(日)

・開館時間 9301700(入館は1630まで)

・入 館 料 一般500円、小・中学生・横浜市内在住65歳以上250

・毎週土曜日は高校生以下無料、毎月第2水曜日「濱ともデー」は市内在住65歳以上無料

・休館日 月曜日(月曜日が祝日の場合は翌日)

・会場 横浜開港資料館 企画展示室

・主催 横浜開港資料館(公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団)

・共催 横浜市教育委員会

・特別協力 小川雄一氏

 

◆関連企画のご案内◆

○展示担当者による展示案内

・915日(月祝)、28日(日)、105日(日)、13日(月祝)、26日(日)、113日(月祝)、24日(月振)、126日(土)、20日(土)、21日(日)

・時間:14時~ それぞれ30分程度 予約不要

・会場:企画展示室入口 

・参加費:無料(ただし入館料が必要)

○展示担当者による連続講座

(1)927日(土) 「横浜外国人居留地の外国商社」

(2)1011日(土) 「商館時計の魅力と流通」 

・講師:白井拓朗(当館調査研究員)

・会場:横浜市開港記念会館6号室

・時間:14時~1530

・参加費:各回1,000円 定員:各50名(先着)

○まち歩き「横浜外国人居留地を歩く」

・日時:1025日(土) 1330分~16時(予定)

・集合:横浜開港資料館 講堂 解散地:関内駅周辺

・参加費:1,000円 定員:20名(先着)

・申込締切:1010日(金)17

・展覧会図録のご案内

・横浜開港資料館編 『小川雄一コレクション初公開 横浜の外国商社と舶来時計』

・公益財団法人横浜市ふるさと歴史財団発行

・A4判、オールカラー44頁、1,300円(税込)

 

※腕時計の豆知識

 ・腕時計が誕生したのは1800年代:ナポレオンの時代のフランス当時は女性のものとしてつくられましたが、ブレスレットに時計が埋め込まれたデザインで時間を見るためのものというより貴族のための宝飾品でした。当時の腕時計は高級品で庶民には買うことができず、日常的に時間を確認する必要もなかったため腕時計が民間に広まることはありませんでした。

 ・19世紀後半、腕時計は男性が戦争のときにつけていくものとして普及するようになってきました。兵器や通信技術の進化により時刻を決めた作戦を実行するようになり、懐中時計に比べて腕時計は両手があき便利ということで広まってきました。そんな中、日本にもヨーロッパから腕時計が輸入されるようになり、日本にも広まりました。

 ・1914年、第一次世界大戦で日本の兵士も戦場で腕時計が必需品となり、さらに兵士が私生活で使い一般市民に広まりました。日本では兵士用=腕時計は男性が身につけるものとして女性が腕時計をつけることはありませんでした。女性が腕時計をつけるきっかけになったのは大正時代の「女性の社会進出」です。

・第一次世界大戦で、工業化・都市化が増え女性の職業の幅がさまざまな分野へ広がっていきました。これをきっかけに仕事中に時間を確認するために腕時計をつける女性が登場し、「女性が腕時計をしてもよい」という考えがどんどん広まりました。この頃から女性が腕時計の文字板を手首側につけることが定着したと言われています

 

 

 

  

 

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