皆さん、こんにちは、アットヨコハマのナビゲーター、小田えりなです。どうぞよろしくお願いします!
今回は、赤レンガ倉庫の歴史を再発見して散策していきます。また新港エリアの海上保安資料館横浜館で海の安全のお勉強。横浜ハンマーヘッドのハングリータイガーさんにもお邪魔して、美味しいハンバーグをいただきます。それでは「アットヨコハマWEB サイト」を確認して…スタートしましょう。
写真1 さあスタートです。
ここで赤レンガ倉庫の歴史の予備知識を勉強しましょう。
赤レンガ倉庫は、横浜市中区新港に位置し、日本の近代化と経済発展に大きな影響を与えた建築物す。その歴史は明治時代にさかのぼり、1911年(明治44)年に2号館、1913(大正2)年に1号館が建設されました。赤レンガ倉庫は、その名の通り、特徴的な赤いレンガで覆われた外観が印象的であり、日本初の荷役用エレベーターや防火扉、消火水栓を備えた最新鋭の倉庫として建設されました。(後でじっくり散策していきましょう。)
写真2 明治末・大正期 横浜桟橋ノ景 出展:横浜都市発展記念館
赤レンガ倉庫は、1923(大正12)年の関東大震災においても被害を最小限に抑える堅牢な構造が証明されました。 その後、1945(昭和20)年の横浜空襲でも赤レンガ倉庫は被害を免れ、歴史的な価値を保ちました。
赤レンガ倉庫は長らく倉庫としての役割を果たしましたが、1989 年までにその役目は終了し、しばらくは放置されていました。しかし、その後の赤レンガ倉庫の運命は大きく変わりました。 1991(平成3)年、横浜市港湾局が中心となり、有識者による保存改修検討委員会が設置され、倉庫の保存と活用に向けた検討が本格化しました。
写真3-1 昭和戦前期の横浜港【大さん橋奥に赤レンガ倉庫が見える】出展:横浜都市発展記念館
2002(平成14)年には「横浜赤レンガ倉庫」として再オープンし、1号館は主に文化施設、2号館は商業施設として新たな役割を担うようになりました。その後はイベントの会場として、ビールイベントやクリスマスマーケット、そしてストロベリーのイベントそして、音楽フェスなど1年を通じて来館者が目白押し。2023年度は、来館者が810万人を超えたそうです。 横浜赤レンガ倉庫は、歴史的なたたずまいを保ちながら、現代の観光地として蘇り、多くの人々に楽しまれています。
写真3-2 現在の横浜赤レンガ倉庫2号館
さて、今日は「赤レンガ倉庫」の歴史を勉強しながら散策していたいと思います。案内をしてくれるのは、横浜赤レンガの広報の荒川美咲さんです。ではゆっくり歴史散策していきましょう。
写真4 横浜赤レンガの広報の荒川さん(広場にて撮影。背景の倉庫は1号館。)
日本最古のエレベーター
米国オーチスエレベーター製で、日本最古の荷役用エレベーターです。かつてバルコニー側に、1号館には3基、2号館には2基設置されていました。約100年昔の施設であることを考えると、建築設備としては超近代的であったことがよく分かります。(近代産業遺産認定) 現在は全てが撤去されていますが、1台だけは今も1号館バルコニー側に展示・保管されています。
なんだか今でもモーターの音が聞こえてきそうです。
塔屋:1・2 号館バルコニー、保存エレベーター:1号館駐車場側
写真5 日本最古の荷役用エレベーター
非常用水棺(スプリンクラー)
国の模範施設である赤レンガ倉庫には当時の最新鋭の技術が取り入れられていました。 非常用水栓(スプリンクラー)もその1つで、現在でもバルコニーにその一部が残されています。
なんだか土管のような形ですが、当時は火事が多い時代。レンガ倉庫であってもこの設備への配慮はすごいと思いました。1911(明治44)年にできたというから、もっとびっくりです。
写真6 土管のようですが実は倉庫を守る大切な設備【非常用水栓(スプリンクラー)】
歴史年表
1号館には、赤レンガ倉庫のあゆみを振り返ることができる歴史年表があります。これを見ただけでも波乱万丈なあゆみですが、この20年は倉庫のセカンドステージのように、観光施設としての横浜赤レンガ倉庫の躍進が伺えます。荒川さんが熱心に説明してくれました。
写真7 横浜赤レンガ倉庫のあゆみ
写真8 熱心に荒川さんが説明してくれました
避雷針
1号館と2号館の広場です。2号館の上にある、とがったものは…ちょっと素敵なデザインです。赤レンガには当時の意匠そのままに頑張っているものがあります。その中でも写真で見える通り、避雷針は数少ない意匠的な要素の部材として、建物の魅力をひきだしています。避雷針本体は、鋳造の台座と鋳造の飾り棒でできていて、飾り棒の先端から台座の下端までの長さは約3mあります。
写真9 倉庫の上にある尖ったものが、避雷針です。デザインが素晴らしい!
防火扉
火災の拡大を最小限に抑えるために庫内を区切るように設置された防火扉などを搭載。地震対策にも余念がなく、レンガの間に鉄材を埋め込むことで耐震強度を高める画期的な工法が採用されました。レンガはすべて国産品、2号倉庫だけで318万個近く使用されていると言われています。
写真10 この扉とても重いです。(撮影のため、特別に許可をいただきました。)
写真11 防火扉の意匠が凝っています
2号館バルコニー
2号館の2Fにあるバルコニー。
左側にはみなとみらいエリア、正面には深緑あふれる赤レンガパーク、右側には海が一望できるスポット。ベンチに腰かければ気持ちいい海風があなたを包み、お買い物の休憩や思い出を語り合うには最適の場所です。またバルコニーの海側にある「幸せの鐘」は、大切な人と訪れてほしい場所です。海が見えるロケーションは、夜になるとライトアップされ、更にロマンチックな雰囲気に。 想いを込めて鐘を鳴らせば、きっと願いが叶うはず。カップルはもちろん友人や家族で想いを込めて鳴らしてください。
写真12 気持ちがよいバルコニー 週末はカップルでまったり
旧税関事務所遺構
赤レンガ倉庫の隣にのこる三角形の遺跡。朽ちた煉瓦が生い茂る植物の緑と溶け合うような佇まいですね。「旧税関事務所 右突堤中央事務所 」は、明治後期から大正初期にかけて造成された「新港ふ頭」の港湾施設の一つです。1914(大正33)年に竣工。煉瓦造スレートぶき、3階建てのゴシック様式の建物で、当時としては最新鋭の設備が備えられていました。
しかし、1923(大正12)年9月1日に発生した関東大震災は、新港ふ頭にも壊滅的な打撃を与え、床や屋根が焼失。竣工からわずか9年の短命に終わることを余儀なくされました。震災後、建物は復旧されることなく埋め戻され荷捌き用地となっていましたが、「赤レンガパーク」の整備の際に発見され、現在は「旧税関事務所遺構」として保存されています。
写真13 この建物って、外国の洋館のようだったんですね
旧横浜港駅プラットホーム
赤レンガの駅があったのを知っていますか。ここは「横浜港駅」。1911(明治44)年、横浜税関構内の荷扱所としてつくられました。 1920(大正9)年に「横浜港駅」となり、駅として利用されるようになりました。東京駅から初の汽船連絡列車が乗り入れ、駅が横浜港の目の前という特徴から、「横浜港駅」に到着する列車は「岸壁列車」とも呼ばれていました。 設置当時のプラットホームは約140m あったそうで、なかなかに長いプラットホーム。当時、東京駅から横浜港駅までは所要時間にして51 分。
その後、プラットホームを保存するために傷んでいた上屋を新素材で復元し、横浜赤レンガパークの休憩所になりました。
写真14 外国航路を待つ人の話し声が聞こえそう
みなさんいかがでしたか、観光地としての横浜赤レンガ倉庫の見方をちょっと変えると、横浜の歴史の変遷が見えてきますね。「私の大好きな赤レンガ倉庫の歴史を、初めて知りました。何度も何度も足を運んでいる場所でも、何故ここにあるのか、何故存在しているのかを知ると、馴染みの場所がもっと大切に思えました。」今回案内をしてくれた荒川さんは「改めて、歴史の詰まった場所であることを実感しました。この先も横浜赤レンガ倉庫の歴史や文化・商業施設としての魅力発信に努めていきたいと思います。」と意気込みを伝えてくれました。
写真15 横浜赤レンガ倉庫の見方がちょっと変わりました。
横浜赤レンガ倉庫公式HP https://www.yokohama akarenga.jp/
横浜赤レンガ倉庫イベントページ https://www.yokohama akarenga.jp/event/
さて次はお隣にある、海上保安資料館で、横浜館北朝鮮の工作船を見学することにしました。
今回案内をしてくれるのは、海上保安資料館横浜館の矢澤真二(やざわ しんじ)さんです。
写真16 矢澤さんちょっと緊張していますが、よろしくお願いします。
施設に入ると、圧倒的な存在感で工作船が中央に展示されています。工作船は、全長約30m 、総トン数44トン、ロシア製のディーゼル機関が4基装備されています。通常の漁船の機関は、1~2基が一般的とのことです。
写真17 工作船の全容
海上保安資料館 横浜館について
海上保安資料館横浜館は、日本の周辺海域の現状と海上警備の重要性などを理解して頂くため、に2004(平成16)年12月に開館しました。館内には、2001(平成13)年12月22日に発生した、九州南西海域工作船事件にかかる工作船及び回収物などを展示している施設です。まず初めに「海上保安庁」のお仕事や、「日本の守るべき海域」「日本の排他的経済水域」について初心者でもわかりやすい説明を聞きました。
写真18 説明はとても丁寧、初心者でもよくわかりました。
工作船事件の概要
海上保安庁は九州南西海域における不審船情報を防衛庁から入手し、直ちに巡視船・航空機を急行させ同船を捕捉すべく追尾を開始しました。同船は巡視船・航空機による度重なる停船命令を無視し、ジグザグ航行をするなどして逃走を続けたため、射撃警告の後、20ミリ機関砲による上空・海面への威嚇射撃及び威嚇のための船体射撃を行いました。しかしながら、同船は引き続き逃走し、巡視船に対し自動小銃、ロケットランチャーによる攻撃を行ったため、巡視船による正当防衛射撃を実施し、その後同船は自爆用爆発物によるものと思われる爆発を起こして沈没しました。その際、巡視船「あまみ」乗船の海上保安官33名が、約7~10日間の入院・加療を要する傷害を負いました。海上保安庁では、事件発生後まもなく、第十管区海上保安本部(所在地:鹿児島県鹿児島市)及び鹿児島海上保安部に捜査本部を設置し、事件の全容解明に向けた捜査を開始しました。
では矢澤さんの案内で工作船を見学していきましょう。↓
写真19 生弾痕の跡が々しい
写真20 工作船の中から発見された遺留品で、日本の暴力団とのやり取りの記録などもあったようです。
写真21 工作船の船尾です。船内は大きな空間がありました。ここには、小型船が収納されていたようです。
写真22
この写真は2連装機関銃で、工作船後部甲板銃の2本の鉄製レールに設置されて、今回の事件で巡視船への銃撃に使用されました。
写真23 上から見た工作船です。
矢澤さんの説明を聞くうちに、鳥肌が立ってきました。今まで遠い国の出来事で、テレビのニュースなどの光景だと思っていましたが、現実に、この展示を見ると、その恐ろしさを実感しました。
写真24
ありがとうござました。私の感想ですが、「初めてきた、海上保安資料館横浜館。建物の中へ入って大きな船があり迫力に驚いたと同時に、このような事件が起きたことも知らなかったので、展示物を見ながら説明を受けて、とてもリアルに感じ取れました。横浜に来たら、一度は足を運んで欲しい場所だなと思いました。また海上保安官の任務は、日本の海を守るため、非常に重要な任務に当たられています。テレビでよく放映されている、尖閣諸島における中国の動きや日本海側の北朝鮮の不審船の動きなど、海上保安庁の方々には頭の下がる思いです。」と実直な感想です。
ところでこのイメージキャラクターの「うみまる」くん、少し矢澤さんに似ていました。
オリジナルグッツもたくさんありますよ。
海上保安庁資料館 横浜館 https://www.kaiho.mlit.go.jp/03kanku/kouhou/jcgm_yokohama/
公開時間について:午前10時から午後5時まで(閉館30分前に受付終了)
【休館日】毎週月曜日(休日の場合は翌平日)年末年始(12月29日から1月3日まで)
※臨時閉館することがあります。
館内では多言語に対応した音声ガイドサービスを御利用いただけます。
●6言語に対応(スマートフォンを利用した音声ガイドサービス)
●対応:日本語・英語・中国語 簡体字 ・中国語 繁体字 ・韓国語・フランス語
さてシーサイドを散歩しながら次の目的地へ。正面はヨコハマグランドインターコンチネンタルホテル右は、インターコンチネンタル横浜Pier8 、どちらも横浜を代表するホテルですね。正面に一番上にはお船の船首にある女神が横浜の海を見守っているそうです。
写真25 あー気持ちがよい!
写真26 ハンマーヘッドのプロムナード沿いには、ハンマーヘッドが正面に見えるフォトスポットがあります。
港の突端は気持ちがよいですね。ハンマーヘッドとクレーンについてちょっと説明しますね。
横浜ハンマーヘッドとクレーン
客船ターミナルと商業施設、ホテルが融合した複合施設「横浜ハンマーヘッド」。施設の名称の由来は、横浜港・新港ふ頭の象徴である歴史遺構「ハンマーヘッドクレーン」。 クレーンは1914(大正3)年、国が貿易量の増大に対応するために整備した新港ふ頭の岸壁の先端部に設置しました。はしけや貨物船が着岸して貨物の積み降ろしを行うための港湾荷役専用クレーンで高さ約30メートル、つり上げ能力は50トン。1923(大正12)年の関東大震災では新港ふ頭の大半が水没しましたが、クレーンは倒壊せず、震災復興にも貢献しました。
さてさてお腹が・・・今日のランチは横浜ハンマーヘッドなかのレストラン、このロゴを見て、丸いハンバーグ、机でハンバーグを調理、重い鉄板、保土ヶ谷バイパスとくれば、ハマっ子のソールフード「ハングリータイガー」です。
写真27
今回お世話になった、広報の橋本さんにハングリータイガーのハンバーグのこだわりをお聞きすると、
「ハングリータイガーのハンバーグは、「ステーキを柔らかく食べていただきたい」という創業者(現会長)の考えが基本となってできました。そこで考えられたのが牛肉の塊を粗いミンチにしてまとめ、ハンバーグ状にする手法です。パン粉などのつなぎや玉ねぎを加えたいわゆる家庭の「ハンバーグ」ではなく『ハンバーグステーキ』と呼べるものになっています。また、炭火で焼くことにより肉の表面を一気に焼きかため、美味しい肉汁を閉じ込めます。」と語ってくれた。橋本さんもレストランのホールの業務をやっていて、鉄板で腕が太くなったそうです。
写真28 まずはナプキンでソースが跳ねるのを防ぎます。このパフォーマンスも独特です。
写真29 スタッフがハンバーグを御開帳。
肉汁とソースがシンフォニーして鉄板はお肉の焼きあがる協奏曲が流れます。
橋本さん曰く「ハングリータイガーのハンバーグやステーキは、熱い鉄板で提供いたします。
保温性の高い鉄板だと最後までステーキやハンバーグを温かく、美味しくお召し上がりいただけます。
また、ハングリータイガーにとって「鉄板」は器であると同時に「最後のグリドル(調理用鉄板)」でもあります。お客様の目の前で二つにカットしたハンバーグの内面を鉄板で焼きを加え、さらにソースをかけて 蒸し の効果もプラスし味の仕上げをします。
ソースをかけて、ジュージューと音をさせることで、そのシズル感を楽しんでいただくという演出でもあります。」もう我慢できません。
写真30 ハイ言葉はいりません。「いただきます」
写真31 うまうまうまエーーーーイ
写真32 甲野店長お忙しいところありがとうございました。
ハンマーヘッド店の甲野店長にアピールをしてもらいました。
「ハングリータイガーの店舗でも一番のロケーションを誇る『横浜ハンマーヘッド店』。横浜を代表する横浜ランドマークタワーやヨコハマ グランド インターコンチネンタル ホテル、観覧車も店内から鑑賞できます。天気の良い日はテラス席で、ヨコハマの風を感じながらヨコハマの逸品をお召し上がりください。」ごちそうさまです。
「私、ハングリータイガーは、子供のころ以来でした!ハンバーグは大好きなので、とてもテンションが上がりました!次ハングリータイガーへ行く際は、家族途一緒に、皆で美味しいハンバーグ食べたいなと思いました!」と…
また来まーす。今回の「ヨコハマを巡る歴史旅 ヨコハマ再発見!」はここまで
ハングリータイガーハンマーヘッド店 https://hungrytiger.co.jp/location/hammerhead.html
ハングリータイガー https://hungrytiger.co.jp/location/
協力 : (株)横浜赤レンガ・海上保安庁第3管区海上保安本部・新港埠頭客船ターミナル・ハングリータイガー
モデル: 小田 えりな(アットヨコハマ ナビゲーター)
写真 : 文藏 秀之
文 : 小嶋 寛