観光・体験スポット

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三溪園

明治・大正時代に製糸・生糸貿易で財を成した実業家、原三溪(本名 富太郎)によって造られた日本庭園。明治39年(1906)に公開。総面積約17万5000平方m。自然の地形をいかした外苑と内苑からなる園内には京都や鎌倉などから移築した歴史的建造物が巧みに配置され、旧燈明寺三重塔をはじめとする国の重要文化財10棟、市の有形文化財3棟などが点在。梅・桜・藤・花菖蒲・蓮・紅葉などが、季節ごとに彩りを添えている。国指定名勝。

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天授院

三溪園内苑にある、茅葺寄棟造りの禅宗様建築。慶安4年(1651)の建築で、鎌倉建長寺付近の心平寺[しんぺいじ](廃寺)跡にあった地蔵堂を移築したとされる。

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金毛窟

三溪園内苑にある、大正7年(1918)に原三溪氏によって造られた一畳台目の茶室。床柱に京都大徳寺の三門金毛閣の高欄の架木を用いていることから、この名が付けられた。月華殿(重要文化財)と渡り廊下でつながっている。

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旧天瑞寺寿塔覆堂

三溪園内苑にある建造物。天正19年(1591)、京都大徳寺内の天瑞寺(廃寺)に、豊臣秀吉が母の大政所[おおまんどころ]の長寿を祝って建てた生前墓の覆堂。明治38年(1905)に三溪園に移築された。

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春草廬

三溪園内苑にある、織田信長の弟・有楽[うらく]による建造と伝わる三畳台目の茶室。月華殿(重要文化財)とともに宇治の三室戸寺[みむろとじ]の金蔵院にあったものを、大正11年(1922)に移築。窓が9つあることから、移築前は「九窓亭[くそうてい]」と呼ばれていた。

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聴秋閣

三溪園内苑にある、小さな2階がついた楼閣建築。元和9年(1623)に徳川家光が京都二条城内に建てさせたといわれ、後に春日局[かすがのつぼね]に与えたと伝わる。書院造だが、左右対称を避け、茶室の趣がある。

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旧東慶寺仏殿

縁切寺の名で知られる鎌倉東慶寺の境内にあったものを、明治40年(1907)に三溪園に移築。建物は江戸時代の寛永11年(1634)に建てられたものと考えられる。

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旧燈明寺本堂

三溪園外苑にある、室町時代初期の建築とされる建築物。聖武天皇の勅願による創建の古寺、京都燈明寺から移築された。堂内の春日厨子は国内最大のものだ。

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三溪記念館

美術品蒐集家で、自らも筆をとる美術愛好家でもあった原三溪自筆の書画やゆかりの作品、三溪園に関する資料や美術工芸品を展示。国の重要文化財である室町時代の木製多宝塔、狩野探幽筆の襖絵などを、期間入れ替えで展示している。気軽に点前付きの抹茶が楽しめる茶席望塔亭(10〜16時、一服菓子付500円)、ミュージアムショップも併設。

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旧燈明寺三重塔

三溪園中央の小高い丘に立つ三重塔。聖武[しょうむ]天皇創建の京都燈明寺にあったもので、康正3年(1457)の室町時代の建築。大正3年(1914)に三溪園内に移築された。総高約24m。関東地方にある木造の塔では最古で、三溪園のシンボル。

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月華殿

慶長8年(1603)に京都伏見城内に建てられた、諸大名伺候の控室であったと伝えられている。内部には海北友松[かいほうゆうしょう]筆と伝わる襖絵、菊の意匠の透かし彫りの欄間がある。大正7年(1918)に三溪園に移された。

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臨春閣

もと和歌山の紀の川沿いの景勝地にあった、紀州徳川家の数寄屋風書院造の別荘「巌出御殿[いわでごてん]」といわれる。慶安2年(1649)の建築で、室内は狩野派などによる障壁画や繊細で豪華な数寄屋意匠で彩られている。池に臨んで雁行型に配された様は三溪園でも随一の景観で、桂離宮と対比される遺構である。

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横笛庵

三溪園の外苑にある茅葺の草庵風建物で、6畳ほどの小間と広い土間から成る。かつて内部に横笛の像を安置していたことからこの名でよばれている。因みに横笛は、高倉天皇の中宮である建礼門院に仕えた女官で、平重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋で知られる女性。

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