観光・体験スポット

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曽我兄弟の墓

芦之湯史跡探勝歩道の途中にある。3つの五輪塔のうち、左の2つが曽我兄弟の墓(重要文化財)、右が兄・十郎の恋人・虎御前の墓(重要文化財)といわれている。しかし、右の塔には永仁3年(1295)12月地蔵講結縁衆と刻まれているため、鎌倉後期に地蔵信仰に基づいて建てられたものともいわれる。

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県西エリア

白雲洞茶苑

箱根強羅公園内にあり、明治・大正・昭和の各時代を代表する実業家、益田鈍翁[ますだどんのう]、原三渓[はらさんけい]、松永耳庵[まつながじあん]が使用していた白雲洞、不染庵[ふせんあん]、対字斎[たいじさい]という3席の茶室がある。箱根の天然岩に深山にわび住む山人の住まいを主題にしたもの。抹茶と和菓子も楽しめる。

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県西エリア

畑宿本陣茗荷屋跡

江戸時代、参勤交代の大名や公家たちが使用した宿泊所。幕末には、アメリカ総領事のハリスの通詞をしていたヒュースケンも利用したという記録が残っている。建物は大正元年(1912)に焼失したが、当時の趣きを残す小川や池がある庭園を見ることができる。明治時代に旧街道の杉並木から伐採し、真ん中をくり抜いた切り株があり、通り抜けると長寿をもたらすといわれている。

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県西エリア

福寿院

本尊は中国から渡来した開運出世慈母観世音菩薩[かいうんしゅっせじぼかんぜおんぼさつ]。本堂内には、拝観者の願い事が奉納されている消災灯[しょうさいとう]がある。また本堂入口には、また木なで観音様が祀られている。御供養、御祈祷、写経、座禅、可能(要予約)。

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県西エリア

鴫立庵

西行法師が「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだ鴫立沢のほとりにある、日本三大俳諧道場の一つ。句会等で利用できる貸部屋がある。

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湘南エリア

大山阿夫利神社

今から2000年以上前に創建された古社で、雨乞信仰の中心地ともされた。社名は雨降りが転じて阿夫利となったとされる。御祭神は大山祇大神、大雷大神、高おかみ神。源頼朝公を始め、徳川氏、北条氏、足利氏等の多くの武将からの崇敬を集め、江戸時代には行楽を兼ねた「大山詣り」が庶民の間で大流行し、年間20万人もの参詣者が訪れたと記録されている。阿夫利神社からの眺望はミシュランガイド2つ星として紹介され、平成28年(2016)には「大山詣り」が日本遺産の認定を受けた。大山と富士山の御祭神が父娘であることから両詣りも盛んであった。

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湘南エリア

源実朝公御首塚

秦野駅から北へ約2.5kmに位置する木立の中の、源実朝の御首塚と伝えられる場所に石造の五輪塔が立っている。建仁3年(1203)、実朝は鎌倉幕府3代将軍となるが実権は北条氏が握り、実朝の甥である公暁[くぎょう]によって鎌倉鶴岡八幡宮で暗殺された。三浦氏の郎党の1人、武常晴[たけつねはる]がこの地の領主・波多野氏を頼り、実朝の御首をここに葬ったという。もともとの塔は木造で、現在は鎌倉市にある鎌倉国宝館(電話:0467-22-0753)に納められている。隣接の秦野市田原ふるさと公園には、農産物販売センターやそば処、水車小屋などがある。

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湘南エリア

安国論寺

日蓮聖人が、文応元年(1260)に境内山腹にある御法窟[ごほうくつ]で、前執権北条時頼に提出した『立正安国論』を書いたという古刹。また、日蓮がここに草庵を結び、布教活動の拠点としたといわれる。境内には本堂や御小庵、反日蓮宗徒による焼き打ち法難の際に避難した南面窟[なんめんくつ]などがある。市天然記念物の日蓮の杖が根づいたといわれる妙法桜とサザンカなどが彩りを添える。

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横須賀三浦エリア

円応寺

建長年間(1249〜56)に創建されたと伝わる臨済宗建長寺派の寺。十王堂ともよばれ、うす暗い仏殿には運慶作と伝わる本尊の閻魔[えんま]大王坐像(重要文化財)をはじめ、変成[へんしょう]王、秦広[しんこう]王、初江[しょこう]王、宋帝[そうてい]王、五官[ごかん]王、平道[ひょうどう]王、五道転輪[ごとうてんりん]王、都市[とし]王、泰山[たいさん]王の冥界[めいかい]の十王像を安置している(初江王像は鎌倉国宝館に寄託)。三途[さんず]の川で死者の衣をはぎとる役目の脱衣婆[だつえば]像もあり、特異な雰囲気が漂う。中でも高さ約2mの閻魔大王はすさまじい形相で見る人に迫る。

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横須賀三浦エリア

亀ヶ谷坂

長寿寺の横を入っていく細い坂道で鎌倉七切通のひとつ。山ノ内と扇ガ谷を結ぶとともに鎌倉から武蔵方面へ通じる重要な往還だった。切り立つ崖に往時の面影を偲ぶことができる。車が通らないので、散策をのんびり楽しめるのがいい。ヤマアジサイやイワタバコも見られる。

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横須賀三浦エリア

光触寺

初めは真言宗の寺だったが、一遍[いっぺん]上人に帰依した作阿[さくあ]上人が弘安年間(1278〜88)に時宗[じしゅう]に改宗したと伝わる寺。山門を入ると苔むした石仏が並び、花や供物が絶えない。本堂には盗みの疑いで頬に焼印を押された法師のかわりに焼印の痕が付いたという伝説が残る、重要文化財の阿弥陀如来像(頬焼阿弥陀)が安置されている。境内には供物の塩を嘗[な]めたという塩嘗地蔵がある。

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横須賀三浦エリア

光則寺

五代執権北条時頼[ときより]の家臣宿屋光則[やどやみつのり]が、日蓮の高弟日朗[にちろう]を開山として自邸に建立した寺。光則の父行時は日蓮の『立正安国論』を時頼に手渡した人物で、光則はのちに日蓮・日朗に帰依した。本堂前には日蓮の直筆を写した高さ約3mの石碑が立つ。右手山中腹には日蓮が佐渡に流罪になった際、日朗を幽閉した土牢がある。境内には梅や椿など四季折々の花木が植えられ、華やいだ雰囲気が漂う。4月上旬に薄紅色の花を咲かせる、高さ約5m、根回り1.2m、樹齢200年のカイドウの巨木が有名。5月上旬〜6月上旬まではヤマアジサイ約300種が見頃。

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横須賀三浦エリア

円覚寺 三門

円覚寺内にある、伏見上皇勅筆の『圓覚興聖[こうしょう]禅寺』の額がかかる壮大な楼門。天明3年(1783)に再建されたもので、高さ約20m・木造2層のどっしりとした重厚な構えは円覚寺のシンボルとなっている。県重要文化財に指定。

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横須賀三浦エリア

十二所神社

鎌倉の東奥、十二所エリアにひっそりと佇む神社。創建は鎌倉時代といわれ、かつては同じ十二所にある光触寺の境内にあったが、江戸末期に現在地に遷座された。明治の神仏分離までは十二所権現社とも呼ばれていた。その名の通り、12柱の神を祭っている。社殿の正面の頭貫にある「波乗り兎」と呼ばれる2匹のウサギの彫刻が珍しく、境内には疱瘡神と宇佐八幡を祀る2つの石の小祠など、4つの境内社もある。

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横須賀三浦エリア

称名寺

俗に今泉不動の名前で親しまれている浄土宗の古刹。緑濃い境内には陰陽の滝があり静寂そのもの。石段の上に不動堂や石造の三十六童子像、大日如来像などがある。

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横須賀三浦エリア

浄妙寺 喜泉庵

浄妙寺の境内にある喜泉庵はいつも手入れの行き届いている枯山水の庭園で、とりわけ新緑のころが素晴らしい。抹茶(菓子付き、干菓子660円、生菓子1100円)を味わいながら眺めていると、すっと心が落ち着いてくる。庭の片隅には水琴窟も設けられている。

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横須賀三浦エリア

大黒堂

長谷寺内にある。本尊の大黒天は現在、収蔵されており、代わりに鎌倉・江の島七福神のひとつ「出世開運授け大黒天」が祀られている。

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横須賀三浦エリア

日蓮袈裟掛の松跡の碑

『立正安国論[りっしょうあんこくろん]』を唱えて幕府に捕えられた日蓮が文永8年(1271)、龍ノ口刑場に連行される途中、この地の松の木に自分の袈裟を掛けたという。今は石碑のみが立つ。

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横須賀三浦エリア

霊光寺

日蓮宗の霊場のひとつで、静かな住宅地の山間にひっそりと小さな堂が立つ。文永8年(1271)の干ばつの際、日蓮上人が極楽寺の忍性[にんしょう]と雨乞い祈願を競って勝ち、雨を降らせたと伝わる。境内には雨乞い池とよばれる田辺ケ池があり、本堂脇に日蓮雨乞いの銅像が立つ。

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横須賀三浦エリア

三浦安針墓

徳川家康の外交顧問となったウィリアム・アダムスこと三浦按針と妻女をとむらった碑石。安針は航海術・天文学・造船術にもすぐれ、三浦郡逸見村に250石を与えられた。按針は元和6年(1620)に長崎の平戸で亡くなり、遺言によりこの地に墓碑が建てられたという。

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横須賀三浦エリア

琵琶島神社

平潟湾に突き出した小さな神社。源頼朝の妻・北条政子が琵琶湖の竹生島[ちくぶじま]弁財天を勧請したといわれ、江戸時代にはご神体が立像だったことと、政子の出世にあやかって立身出世の神様として信仰を集めた。境内の入口には、この石の前で物を拾うと福を授かるといわれる福石がある。また、横浜金沢七福神の一つで弁財天を祀っている。

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横浜エリア

赤レンガパーク

横浜赤レンガ倉庫のリニューアルオープンと同時期に整備された約5万7000平方mの面積を持つ公園。横浜港を臨む海岸線沿いからは大さん橋やベイブリッジが眺められ、海辺の公園ならではの風情が漂う。歴史的な建造物が照らし出される赤レンガ倉庫自体のライトアップも見もの。

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みなとみらい・桜木町
横浜エリア

夢窓国師閑居跡

臨済宗の名僧で、造園にも優れていた夢窓国師が鎌倉を去ったあと、ここに庵を結び1年間閑居した。堂ケ島の名は庵を結んだことから付けられたといわれている。旅館の敷地から早川に架かる夢窓橋を渡った木立の中に、再建された小さな庵がたたずむ。

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県西エリア

汽車道

明治44年(1911)に開通した旧国鉄の廃線跡を整備した遊歩道。日本丸メモリアルパークから新港地区までを3つの橋梁が結んでいる。約500m続くボードウォークからはMM21地区の高層ビル群が一望できるロケーション。鉄道開業当時に築造された石積みやアメリカ製鉄橋など歴史的建造物も残されている。また、汽車道から新港地区に入ったところにあるのが運河パーク。水辺に面した広場、芝生などがある。

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みなとみらい・桜木町
横浜エリア
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