子の神社
子の神社(ねのじんじゃ)、江戸時代から野毛浦一帯の鎮守様として当時の海近くに鎮座していましたが、横浜大空襲で焼失し、現在は日ノ出町一帯が開港場警備のため越前藩による陣屋となった山際に移されています。
子の神社(ねのじんじゃ)、江戸時代から野毛浦一帯の鎮守様として当時の海近くに鎮座していましたが、横浜大空襲で焼失し、現在は日ノ出町一帯が開港場警備のため越前藩による陣屋となった山際に移されています。
大岡川運河群を代表する橋の一つで総御影石張りアーチ構造の傑作です。古くは江戸時代初期に吉田新田事業に伴って八丁畷に沿って大岡川に架けられた重要な橋です。令和4年に横浜市認定歴史的建造物に指定されました。
日本土木学会推奨の土木遺産に選定された堀割川(明治7年開削)最下流に架かる昭和3年に設置された震災復興橋梁です。明治期には根岸の外国人にも愛されたレストハウスが袂に建ち、現在も磯子と本牧を繋ぐ重要な役割を担っています。
堀川開削時に架橋された最初の三つの橋の一つ。海岸際に「山下橋」が架橋される時に上流に移動しました。山手(谷戸坂)に登るための橋として往来が絶えない重厚な橋です。元町側袂にはシドモア桜記念碑第一号が建っています。
全国ブランドのお店と、地元人々の日常を支えるお店が混在している石川町商店街の中でも手芸店として創業70年を越える、地元に愛されてきた品揃えの手芸材料の専門店です。現在新店舗開店に向け仮店舗で営業中です。
1869年11月3日(明治2年9月30日)創業の鶴屋呉服店(銀座松屋の前身)のために1873年(明治6年)架橋された「亀の橋」は当時のメインストリート地蔵坂と関内地区を結ぶ重要な橋として賑わいました。橋近くに新桟橋が完成で再注目されています。
その名の通り、ここには謎の橋(赤橋とも)と呼ばれた橋が架かっていました。戦前の地図には記載されていたり、無かったりと架橋時期が不明ですが、地域の人の記憶には残されている不思議な橋です。
野毛おでんといえば名物"あの大根"変わらない味を代々長く受け継いでいますがお店の看板には「蕪(かぶ)」マーク。謎解きはお店で!野毛おでんは1903(明治36)年野毛で創業し、1913(大正2)年以来吉田町の歴史とともに歩んできたおでんの老舗です。
中区寿地区に暮らす人と、寿地区内外の市民や団体・事業者・大学の連携と交流を推進する協働のための施設です。さまざまな人々とともに、開かれたまちづくりを目指しているので気軽にお立ち寄りください。
2014年4月にオープン、表通りのアパレルショップROUROUがプロデュースした中華街の隠れ名店です。ROUROU(ロウロウ)とはまもなく夜が明けようとしているぼんやり薄明るい様子を表す日本の古語「朧朧」に因んでいます。
1927年(昭和2年)9月復興橋として竣工。江戸期明治期は吉田新田の八丁畷(現在の長者町通り)に繋がる橋として、戦後は米軍接収時代に根岸の米軍住宅と関内外、東海道を結ぶ重要道に架かる橋でした。
桜木町側から二つの橋に分岐し関内駅前で合流する上下分離型で橋の名称が区別されている珍しい橋です。明治5年に架橋され、すぐに撤去されていましたが、派大岡川運河の道路整備に伴い1973年(昭和48年)再び完成しました。
朝陽門付近にインフォメーション・センターがあります。 「ChinaTown80」と名付けられたこちらの施設では、デジタルサイネージの案内版や、地図や各店舗のパンフレットが設置してあります。 中華街に関する様々な情報を入手できます。また、オープンスペースではいろいろな催しを開催しています。
地下2階~から5階まで約160の専門店が入るショッピングモール。衣料品や雑貨、サービス店舗、数多くの飲食店舗が立ち並ぶ。 国の重要文化財ドックヤードガーデンを囲む地下飲食店ゾーン「みらい横丁」では夜遅くまで食事やお酒が楽しめる。 館内に2つある巨大な吹き抜け空間では大規模なイベントやシーズン装飾などが1年を通じて楽しめる。