鴫立庵
西行法師が「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだ鴫立沢のほとりにある、日本三大俳諧道場の一つ。句会等で利用できる貸部屋がある。
西行法師が「心なき身にもあはれは知られけり鴫立沢の秋の夕暮れ」と詠んだ鴫立沢のほとりにある、日本三大俳諧道場の一つ。句会等で利用できる貸部屋がある。
今から2000年以上前に創建された古社で、雨乞信仰の中心地ともされた。社名は雨降りが転じて阿夫利となったとされる。御祭神は大山祇大神、大雷大神、高おかみ神。源頼朝公を始め、徳川氏、北条氏、足利氏等の多くの武将からの崇敬を集め、江戸時代には行楽を兼ねた「大山詣り」が庶民の間で大流行し、年間20万人もの参詣者が訪れたと記録されている。阿夫利神社からの眺望はミシュランガイド2つ星として紹介され、平成28年(2016)には「大山詣り」が日本遺産の認定を受けた。大山と富士山の御祭神が父娘であることから両詣りも盛んであった。
大沢川上流にある弁財天。雨乞いのために祭られたもので、そばにある滝壺が釜の形に似ていることから、この名がついた。広沢寺温泉バス停から標高404mの日向山へ向かう日向薬師[ひなたやくし]ハイキングコースの途上にあり、弁財天手前には高さ40mの滑岩[なめりいわ]という巨大な岩がある。
赤羽根海岸の湾岸にある海蝕奇岩。断崖が風や波で浸食され、天然の洞門のようになっているもので、自然が造りだしたダイナミックな景観を見せている。
映画『男はつらいよ』のほかドラマの撮影にも利用されたこともある、景色のよさと鮮度抜群の地魚を使用した料理が評判の店。海の景色はもちろんのこと、夕日に染まる富士山を眺めながら味わう食事は格別の味わい。
アメリカ西海岸の雰囲気をイメージした開放感あふれるデリ。かつてフレンチシェフだったオーナーが作る温冷の惣菜が日替わりで10〜13種類登場し、好みの数種類をチョイスしてランチボックスに。イートインやテラス席も用意されている。
創業は昭和4年(1929)、以来80年にわたり鎌倉の食卓を支え続けてきたパンとケーキの店。パンは創業当時から変わらないものも多く、懐かしい味を求めて遠方から足を運ぶ常連も多い。
鎌倉市内の手芸好き住民に大人気の生地専門店。店内は圧倒されるほど種類豊富で、世界各地から直接買い付けられた愛らしい生地が並んでいる。いつも賑わう店内には、専門のスタッフが作ったバッグや洋服のサンプルも展示され、手作りの魅力があふれている。また、バッグや雑貨の講習会や洋裁教室などもあり、手作りビギナーをサポートする体制が万全なのも嬉しい。
五代執権北条時頼[ときより]の家臣宿屋光則[やどやみつのり]が、日蓮の高弟日朗[にちろう]を開山として自邸に建立した寺。光則の父行時は日蓮の『立正安国論』を時頼に手渡した人物で、光則はのちに日蓮・日朗に帰依した。本堂前には日蓮の直筆を写した高さ約3mの石碑が立つ。右手山中腹には日蓮が佐渡に流罪になった際、日朗を幽閉した土牢がある。境内には梅や椿など四季折々の花木が植えられ、華やいだ雰囲気が漂う。4月上旬に薄紅色の花を咲かせる、高さ約5m、根回り1.2m、樹齢200年のカイドウの巨木が有名。5月上旬〜6月上旬まではヤマアジサイ約300種が見頃。
鎌倉の東奥、十二所エリアにひっそりと佇む神社。創建は鎌倉時代といわれ、かつては同じ十二所にある光触寺の境内にあったが、江戸末期に現在地に遷座された。明治の神仏分離までは十二所権現社とも呼ばれていた。その名の通り、12柱の神を祭っている。社殿の正面の頭貫にある「波乗り兎」と呼ばれる2匹のウサギの彫刻が珍しく、境内には疱瘡神と宇佐八幡を祀る2つの石の小祠など、4つの境内社もある。
長谷寺内にある。本尊の大黒天は現在、収蔵されており、代わりに鎌倉・江の島七福神のひとつ「出世開運授け大黒天」が祀られている。
仁治2年(1241)に3代執権北条泰時[やすとき]が自ら現場で指揮をとったと言われる。鎌倉と六浦[むつうら]の港を結ぶ要路で朝夷奈三郎義秀[あさいなさぶろうよしひで]という豪傑が一夜にしてこの切通しを作った、という伝説もある。このあたりは木漏れ日がようやく射し込むくらい木々が茂り、静寂そのものだ。朝夷奈切通へ進む分岐点をそのまま5分ほど直進すると十二所果樹園がある。梅やクリの木が植えられ、2月には梅見を楽しむ人々で賑わう。
ガラスケースや壁に横須賀を母港とする空母ロナルド・レーガンのすべての部隊のワッペンや、海上自衛隊のワッペンなどがずらりと揃っている。1枚300〜5000円。帽子もあり、パッチの縫い付けも受け付けている。
観音崎自然博物館は、きれいな海と照葉樹の森に囲まれた自然豊かな観音崎公園の一角に位置している。「東京湾集水域と三浦半島の自然と生き物」をテーマにし、周辺の海藻・植物・磯の生物・昆虫・両生類・爬虫類などを展示している。本物を見て触れて学ぶことができ、中でも海の生き物にさわるタッチプールが人気。海を臨む中庭では、お弁当を広げたりしてゆっくり過ごせる。
徳川家康の外交顧問となったウィリアム・アダムスこと三浦按針と妻女をとむらった碑石。安針は航海術・天文学・造船術にもすぐれ、三浦郡逸見村に250石を与えられた。按針は元和6年(1620)に長崎の平戸で亡くなり、遺言によりこの地に墓碑が建てられたという。
古くから、海上交通の神様として崇拝されてきた神社。その昔、平潟湾の中心に急流の瀬戸があり、海神が祭られていた。その海神を神体として創建したといわれている。治承4年(1180)には源頼朝が伊豆の三島大社を勧請。その後も足利氏、小田原北条氏、徳川家から庇護された。現在の社殿は寛政12年(1800)の再建。
平潟湾に突き出した小さな神社。源頼朝の妻・北条政子が琵琶湖の竹生島[ちくぶじま]弁財天を勧請したといわれ、江戸時代にはご神体が立像だったことと、政子の出世にあやかって立身出世の神様として信仰を集めた。境内の入口には、この石の前で物を拾うと福を授かるといわれる福石がある。また、横浜金沢七福神の一つで弁財天を祀っている。
弘仁元年(810)に弘法大師が日本武尊の伝説の残るこの地を訪れ、祠を建てたのが開創とされる。文和元年(1352)に日蓮宗に改宗。境内のすぐそばには神奈川の名木百選のビャクシンがそびえる。旧領主・間宮家の菩提寺であり、間宮信繁は梅の植樹を推奨し、のちに杉田梅林として知られるようになった。その数は3万株以上になり、佐藤一斎『杉田村観梅記』や清水浜臣『杉田日記』で紹介され、江戸にも知られた梅の名所として多くの観梅客や文人墨客が訪れた。初代歌川広重は「武州杉田の梅林」にて当時の観梅の様子を描いており、明治には英照皇太后・昭憲皇太后が観梅に訪れ、現在でもその名残が見られる。
三溪園の外苑にある茅葺の草庵風建物で、6畳ほどの小間と広い土間から成る。かつて内部に横笛の像を安置していたことからこの名でよばれている。因みに横笛は、高倉天皇の中宮である建礼門院に仕えた女官で、平重盛の従者・斉藤時頼(滝口入道)との悲恋で知られる女性。
上質なお酒を気軽かつリーズナブルな価格で味わえる、英国風パブの「HUB」。 お酒や軽食を楽しめるのはもちろん、一緒に訪れた人との会話や新たな出会いを楽しめる交流の場。 気軽に利用できる店舗のシステムと、昼から深夜まで営業していることもあり、様々なシーンでも利用できます。
希少価値が高いとされる「沖縄純黒糖」を使った日本初の専門カフェ。沖縄の純黒糖に魅せられたオーナー夫婦が作り出す黒糖料理の数々は、一度食べたらやみつきに。土鍋を使った「黒糖茶房鍋パフェ」をはじめ、沖縄の8つの島で作られた純黒糖の「食べ比べセット」など魅力的なメニューが充実。
創業30年余の風情あふれる日本料理店。店舗は数寄屋造の趣ある2階建ての日本家屋で、落ち着いた雰囲気の店内で四季折々の会席料理を堪能できる。魚は福井県美浜町の美浜漁港や、その他全国から取り寄せている。新鮮な魚介が一番の目玉で、ここでしか食べられない若狭湾の名物を中心に、こだわり抜いた食材を丁寧に調理。新鮮野菜や鮮魚など、旬の味わいを大切に、食材の力を引き出した料理を堪能できる。大きさの異なる個室が各種あるので用途に合わせて対応可能。
ドールハウスは、“小さな家”を意味し、16世紀中頃、ドイツの貴族が娘のために職人に作らせたのが始まり。後にアメリカの一般の人々の間でも人気となった。実物の12分の1サイズが基準で、技術や知識、創造力、物語性なども大きな魅力だ。館長自ら世界中を駆け巡り収集した作品や世界2大コレクションといわれる貴重なアンティークドールハウスである「ハスケルハウス」や、遊び心いっぱいの「モトロポリタン美術館」など、時間を忘れて楽しめる。