観光・体験スポット

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佐助稲荷神社

頼朝が伊豆の蛭ケ小島[ひるがこじま]に流された時に、ここの稲荷神が翁の姿で夢枕に立ち、平家討伐の挙兵の助言をした。後に頼朝は、鎌倉幕府を開き、この地に社殿を建てた。名の由来は佐殿[すけどの](頼朝の幼名)を助けたところから付いたといわれる。石段の続く狭い参道には無数の古びた朱塗りの鳥居や赤い幟[のぼり]が林立し、石段を登りつめると杉木立に囲まれて小さな社殿が立つ。

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横須賀三浦エリア

成就院

極楽寺切通しの途中、石段を登った小高い丘の上にある真言密教の寺。弘法大師が修行した霊場跡に、承久元年(1219)北条泰時[やすとき]が創建したと伝えられる。本尊は不動明王(縁結び不動)。また、参道からは眼下に由比ケ浜の眺望が広がる。

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横須賀三浦エリア

横浜関帝廟

祭られている関羽は『三国志』で有名な武将だが、商売繁盛の神様としても信仰されている。初代は明治期に建造。現在のものは、平成2年(1990)に再建された4代目だ。北京瑠璃瓦・観音石竜柱など中国清朝時代の伝統的な建築工芸技術が施された絢爛豪華な建物は、中華街のシンボルにふさわしい。本殿に入るには、線香500円が必要。火をつけたら1〜5番まである香炉に1本ずつ供え、5人の神様に願い事をしよう。どの神様に何をお願いしてよいかは、本殿内に掲示されている。おみくじを引いた後、神筈[しんばえ]という三日月型の神具を床に落す、中国独特のスタイルだ。

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山下公園・横浜中華街
横浜エリア

横濱媽祖廟

中国北宋の時代に実在した女性・媽祖をはじめ、学問の神文昌帝君、縁結びの神月下老人、安産の神臨水夫人、子授の神の註生娘娘を神殿内で祀っている。媽祖は航海の安全、自然災害から人々を守る女神として信仰を集めている。

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山下公園・横浜中華街
横浜エリア

綱島諏訪神社

「お諏訪さま」で親しまれる綱島周辺の鎮守社。天正年間(1573-1592)以降にこの地を領有していた近藤五郎右衛門正次を首領とする甲州武田の家臣が、慶長10年(1605)頃に信濃国諏訪明神を勧請して創建した。毎年8月の最終の土・日曜に行われる例大祭は、横浜市内では最大級の規模を誇り、各町内から神輿が集結する綱島の一大祭典だ。近隣からも応援の多くの担ぎ手が駆けつけ、綱島は祭り一色になる。

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横浜エリア

鵐窟

治承4年(1180)、源頼朝が石橋山の合戦で平家に敗れたときに身を隠したといわれる岩屋。ここより箱根権現別当のもとに逃れた後、真鶴の岩海岸から安房国へと脱出したと伝えられている。

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県西エリア

公時神社

金太郎のモデルになった平安時代後期の武士、源頼光[みなもとのよりみつ]に仕え四天王の1人に数えられた坂田公時[さかたのきんとき]を祭っている。金時祭が行われる5月ごろはツツジやサツキが見られる。境内からは金時山への登山道があり、山頂までは約3km、所要1時間20分。途中には公時神社奥の院や、金太郎が使ったというマサカリを奉納した祠[ほこら]、山頂付近には金太郎の宿り石がある。登りはきついが山頂から富士山、箱根連山、芦ノ湖などを一望できる。

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県西エリア

箱根の石仏群

精進池から芦之湯へ向かう国道1号沿いに点在する石仏群。かつての地蔵信仰の名残で、高さ3mの磨崖仏六道地蔵をはじめ、巨大な岩に24体の地蔵菩薩と阿弥陀如来、童子形の石仏各1体ずつ計26体が彫られた二十五菩薩像などがたたずむ。これら石仏を縫うように芦之湯まで芦之湯史跡探勝歩道が設けられている。

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県西エリア

大山寺

女坂の途中にある、天平勝宝7年(755)、僧・良弁[ろうべん]が創建。当初は大山阿夫利神社の位置にあったが、明治の神仏分離で現在の位置に移された。別名・大山不動尊といい、東京の高幡不動、千葉の成田不動とともに関東三大不動の一つ。本尊の不動明王(重要文化財)は、文永年間(1264〜75)に僧・願行[がんぎょう]が建立したもの。不動堂は明治18年(1885)の再建で、繊細な彫刻が施されたケヤキ造りだ。

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湘南エリア

白秋詩碑

城ケ島大橋のたもとに立つ詩碑。「雨はふるふる城ケ島の磯に利休ねずみの雨がふる」という『城ケ島の雨』の一節が、高さ約3mの船の帆をかたどった根府川石に彫られている。大正2年(1913)、三崎に仮寓していた白秋が島村抱月と松井須磨子の芸術座音楽会のために舟歌として作詞したもので、以後城ケ島の名前を高めた。近くの白秋記念館(入館無料)では、白秋にまつわる資料200点以上を展示。所要30分。

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横須賀三浦エリア

神武寺

神亀元年(724)に行基によって創建されたといわれる歴史ある寺。

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横須賀三浦エリア

江島神社 中津宮

江島神社に属し、仁寿3年(853)に慈覚大師が創建し、祭神は市寸島比売命[いちきしまひめのみこと]。現在の社殿は元禄2年(1689)に再建された。上ノ宮ともいう。

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湘南エリア

阿仏尼の墓

英勝寺の近くにあるやぐらに六層の石塔が立つ。中世の紀行文の名作とされる『十六夜日記』[いざよいにっき]を書いた歌人阿仏尼の墓と伝えられる。

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横須賀三浦エリア

円覚寺 舎利殿

円覚寺内にある、妙香池脇の瓦葺きの門を入った奥にある単層入母屋造、裳階[もこし]付き、柿葺[こけらぶ]きの建物で、日本に現存する最古の唐様建築の代表作として有名。北条貞時が弘安8年(1285)に創建したが焼失し、現在の建物は室町時代に太平寺[たいへいじ]の仏殿を移築したものという。堂内には源実朝が求めた仏舎利[ぶっしゃり]が安置されている。1月1〜3日と11月の宝物風入期間中に外観のみ公開される。

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横須賀三浦エリア

小動神社

七里ケ浜と腰越港の間に突き出した小動岬の一角に立つ腰越の鎮守。源平合戦で活躍した佐々木盛綱[もりつな]が、文治年間(1185〜90)に近江の八王子宮を勧請したのが始まり。新田義貞の鎌倉攻めではここで戦勝祈願をしたという。明治の神仏分離令で小動神社と改称した。岬の名前は、かつてこの地にあった松の木が風もないのに枝をふるわせ、美しい音色を響かせていたことから小動の名がついたといわれる。展望台からは腰越港を眼下に右に江の島、正面に伊豆大島などを望み、みごとな眺望が広がる。また展望台下の岩礁は、昭和5年(1930)に当時帝大生だった作家太宰治が心中事件を起こしたところ。

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横須賀三浦エリア

円覚寺 選仏場

円覚寺内にあり、元祿12年(1699)に建立された茅葺きの建物。僧侶が坐禅を組み、悟りを開いて仏になるための道場。南北朝時代に彫られた運慶[うんけい]派の作と伝わる、薬師如来立像が安置されている。

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横須賀三浦エリア

名越切通

逗子トンネル近くにある鎌倉七切通しのひとつ。鎌倉と三浦方面を結ぶ鎌倉時代の要路であった。岩を削って造られた道で往時の面影を偲ぶことができる。

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横須賀三浦エリア

中央公園

横須賀中央駅から近い東京湾を望む高台にある公園。広くはないが、横須賀市街を一望できる展望台は、散歩のラストにはぴったり。

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横須賀三浦エリア

川崎市夢見ヶ崎動物公園

川崎市幸区にある動物公園。フンボルトペンギン、レッサーパンダ、ハートマンヤマシマウマなど53種約310点を飼育展示している。大型インコの種類も多く、よく話すインコもいるため、話しかけてみよう。レムール舎では、マダガスカル島の固有種であるワオキツネザルやエリマキキツネザルなど3種を飼育。中通路を設けているため、内外から観察できる。桜やツツジの名所としても知られる自然に恵まれた園内には、一寺、二神社と、横穴式石室の第三号墳など夢見ヶ崎古墳群の古墳も点在しているので、のんびりと散策したい。

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川崎エリア

冨塚八幡宮

延久4年(1072)、源頼義、義家父子が誉田別命[ほむだわけのみこと](応神天皇[おうじんてんのう])と富属彦命[とつぎひこのみこと](相模国造二世の孫)を勧請[かんじょう]。本殿は天保11年(1840)、拝殿は昭和9年(1934)に奉献された。山頂には富属彦命の墳堂があり、これを富塚と称し、戸塚の地名が付いたといわれている。

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横浜エリア

ベーリック・ホール

昭和5年(1930)に建てられた、イギリス人貿易商ベリックの邸宅。建築家J・Hモーガンの設計でスパニッシュスタイルが基調。戦前に建築されて現存する山手外国人住宅では最も規模が大きい。セント・ジョセフ・インターナショナル・スクールの寄宿舎として使用された後、平成13年(2001)に横浜市の所有となり、翌年から施設を公開している。正面の3連アーチ、瓦屋根を持つ煙突、幾何学模様のタイルなど多彩な装飾が見どころ。

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山手・元町
横浜エリア

法華堂跡

鎌倉幕府を開いた源頼朝を供養した堂の跡。現在頼朝の墓塔は安永8年(1779)、頼朝と縁深い薩摩の島津重豪が整備した。また、頼朝の墓から右手の細い山道を登ると、頼朝の参謀だった大江広元[おおえのひろもと]の墓などがある。

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横須賀三浦エリア

葉山の朝市

毎日曜日の8時30分〜10時30分時に、ラ・マーレ・ド・茶屋の裏手の鐙摺港で行われる。サザエやアジの干物などの魚介類や乾物類だけでなく、けんちん汁、イクラ丼などの手作り料理も並ぶ。開始前に行列ができるほどの人気。

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横須賀三浦エリア

極楽寺

貧者救済や病人の治療に尽くしたことで知られる忍性[にんしょう]菩薩が、正元元年(1259)に創建した真言律宗[しんごんりっしゅう]の寺。本堂前には忍性菩薩が使用したと伝わる千服[せんぷく]茶臼や製薬鉢がある。往時は七堂伽藍をはじめ多くの塔頭があったが、度重なる火災や戦乱で大半が焼失。現在は山門や本堂などが山かげに立っているのみだが、宝物殿には木造十大弟子立像(重要文化財)などの古仏像が数多く収蔵されている。本尊の木造釈迦如来立像(重要文化財)は4月7〜9日のみ公開。奥の院には高さ約4mの忍性菩薩の墓(史跡)が立つ。

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横須賀三浦エリア
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