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司会を務めるテレビ朝日の情報番組「羽鳥慎一モーニングショー」は今年の10月で放送開始10年を迎えた。自らの名が付く番組に「責任とやりがいが隣り合わせ」という。意識するのは、アナウンサーの大先輩である徳光和夫さんから教えられた「出過ぎず、引き過ぎず」。全体のバランスを見ながら番組を進行しつつ、自分の存在感はなくさないように。番組を司る役割として、視聴者との距離感を大切にしている。
埼玉県で生まれ、小学1年で保土ケ谷区に移り住む。権太坂小に通い、3年から地域のソフトボールチームに所属。境木中、平沼高と野球部に所属し練習に明け暮れ、エースとしてチームを引っ張った。
学校の隣にある岡野公園で、監督に「終わり」と言われるまで走り続ける"無制限ランニング"は思い出深い。「試合終わりに他の部員がノックやっている間に1人で走るんですが、監督に忘れられたみたいで。みんなが練習が終わって帰っていくのを見て、あれ?って。1時間半位走り続けたかな」。真面目に取り組んだ成果か、3年最後の夏は、強豪揃いの県大会で公立高校にして4回戦まで勝ち進むという快挙を成し遂げた。
野球部エースに加えて長身、甘いマスク、優しい性格。ものすごくモテたのではと聞くと「クラスの人気者ぐらいまではいっても、そこは坊主頭の限界。結局モテるのはサッカー部なんです」と照れ笑い。また、学校の校舎については「卒業後に建て替えられたので今とは異なりますが、アーチ型の天井や飴色になった手すりなど、歴史のある場所で勉強しているんだなと思っていました」
平沼高校は横浜駅すぐの立地だが、放課後を楽しめたのは3年の引退後。「横浜駅西口のピザの食べ放題(シェーキーズ)に初めて行って、こんな楽しい場所があるんだって思いました。平沼高校の立地の良さを、卒業間近でようやく知るという...。服をビブレで買うと、男子は絶対、誰かと被っていましたね」
一浪して早稲田大学に入学。「楽しいことを仕事にしよう」と就職先を考えた時、頭に浮かんだのは高校時代に没頭した野球だった。「練習は確かに辛かったけれど、平沼の部活が本当に楽しかった」。テレビも好きだったことから、野球の実況アナウンサーを夢見て日本テレビへ入社。思春期だった中学時代は「笑ったところを見たことがない」と言われたほどで「『しゃべる仕事で大丈夫?』と同級生から心配されました」と笑う。野球実況の夢が実現し、スター選手を間近にワクワクした気持ちで仕事ができた一方、「選手の資料の準備や緊張の連続で全然楽しめなかった。実況担当を外れた時「これでビール飲みながら野球が見られるって思いました」と振り返る。
平高生は各界で活躍する著名人も多いという。「同じアナウンサーの堀潤さんは後輩。女子校時代の大先輩だと草笛光子さんや岸恵子さんも。草笛さんにお会いした時『あなた平沼よね』って声をかけていただいて。全く世代が違くても平沼というだけでつながれるし、歴史ある同窓生の絆を感じます」。自身も夏の大会に駆け付け、後輩を応援している。
「同級生や先輩後輩、先生やコーチ、学生時代に出会った人はその後の人生で長く助けてくれる存在になっています。これからも出会いを大切にしていきたいです」