【横浜市南区】関東大震災復興「関西村の歴史知って」 南区ガイドボランティアがマップ作成

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関東大震災で壊滅的な被害を受けた横浜の復興のため、現在の南区中村町3・4丁目一帯に大規模な救援施設が建てられた。のちに「関西村」と呼ばれる施設援助を行ったのは、大阪府を中心とした「震災救護関西府県連合」。この歴史を広く知ってもらおうと、「横浜みなみガイドボランティアの会」がガイドマップを作成した。11月に配布予定だ。

ガイドマップはB4判の三つ折り。写真を交えて記載された現在の地図には、関西村があった場所や建物の内容が記されている。また、かつての様子がわかる写真も多く使われている。

マップ制作の中心的な役割を担った一人、同会の木村高久さん(83)=高根町在住=は、10年ほど前に「関西村」の存在を知った。だが当時の歴史を示す資料の多くは戦時下の空襲などで消失し、痕跡は地域に何一つ残されていない。地元の人でも知っている人はごくわずかだったという。「ガイドをする時に、関西村の話をしても、説得力がない。何か形が欲しいとずっと思っていた」と話す。

関東大震災から100年の節目となった2023年から関西村の存在を知ってもらうため、街歩きやパネル展を実施。さらに認知を広げようと今年、中村地区センターの岡泉副館長がガイドマップ制作を提案し地域のデザイナーの協力を得て、作成した。木村さんは「関西村や大変な時に助けてもらった事実を広く知っていただくための一つの道具として活用していきたい」と話した。

ガイドマップは11月上旬から中村地区センターや横浜八聖殿などで配布される予定だ。

貴重な地域の復興史

関西村には、52棟のバラックと13棟の病院のほか、役場や小学校、警察署、消防署、食堂、公会堂などが建てられ、約2000人の市民が避難生活を送ったという。通りには支援した府県の名がつけられた。10年以上前から関西村を調べている横浜市八聖殿郷土資料館の相澤竜次館長よると、神奈川県の要望でバラック内は一世帯ごとに間仕切りと入り口を設け、約6畳だった。「1棟に16室程度あったと思われる」という。相澤館長は「こうしたプライベートに配慮する考え方は、今の社会の災害対応にも繋がるもの。復興史としても地域の貴重な宝」と関西村を位置付け、認知を広げたいとしている。

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