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南区永田北に住む横山慶子さんはこのほど、義父で画家の横山清治氏が描いた『戦災画譜』16点を横浜都市発展記念館=中区日本大通=に寄贈する。横浜の空襲直後のまちの様子を描いた水彩作品で戦時期の様子を記録した貴重な資料。7月19日(土)から同館の特別展で披露される。
清治氏は戦時中、中区西之谷に居住。徴用を受けて鋲打ち検査工として横浜鶴見造船所に通っていた。道すがら横浜空襲直後に目にした関内の様子や、焼跡で暮らす市民の様子などを縦約15cm、横約22cm等の和紙に水彩で描いている。
戦時期は、一般市民が空襲被害の様子を記録することは厳しく制限されており、見つかれば、警察に逮捕される恐れもあった。清治氏は疎開している娘に横浜の姿を伝えようと、他人に見つからないように手帳に素早くスケッチし、その後自宅で描き上げた。
戦時期の資料で残っているのは、警察が空襲の被害状況を俯瞰的に記録した写真などが主。同館の西村健主任調査研究員によると、空襲直後の人々の生活に焦点を当てた情景を画家の視点で描いた記録は唯一無二だという。その絵画の一つは横浜市の委嘱を受けて「横浜の空襲を記録する会」が刊行した「横浜空襲と戦災」の表紙に使われている。
西村研究員は「娘に横浜の姿を伝えるために描かれた作品という点で、当時のありのままを映した貴重な資料といえるのでは」と説明する。
寄贈を決めた横山慶子さんは、1889年に創業した生花店「花松」=中区曙町=の5代目を務める。清治氏は、3代目店主として店を営む傍ら、画家としても活動していた。清治氏の作品は、慶子さんの自宅に長年保管されていたが、「貴重な資料であり、次世代にしっかりと残していくためにも、寄贈しようと思った」と話す。現在、寄贈手続きが進められている。
横浜都市発展記念館は、特別展「戦後80年戦争の記憶―戦中・戦後を生きた横浜の人びと―」を7月19日(土)〜9月28日(日)まで開く。同展では、横浜市民が受けた戦争の影響や空襲被害の実相を資料や証言記録から紹介する内容で、清治さんの作品も展示される。
西村研究員は「戦後80年、戦中・戦後の記録から戦争が一般市民にもたらす惨禍について今一度考えるきっかけになれば」と呼びかける。
特別展の詳細・問い合わせは、横浜都市発展記念館【電話】045・663・2424へ。