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130年の歴史を持つ中区の3消防団(伊勢佐木、加賀町、山手)は今年4月1日に統合する。同月13日に発足式を行う。1894年に消防団の前身である消防組(伊勢佐木、石川、山手)が発足して以来、中区内で団内部からの申し出があり統合するのは初めて。
新消防団の名称は「横浜市中消防団」。3消防団の合計462人(23年12月時点)が所属する予定だ。4月13日には横浜市役所で、新生消防団の発足式を行う。午前10時から12時まで(予定)。
2021年、当時の3消防団の団長(永田二朗さん・伊勢佐木、三浦順治さん・加賀町、添田勝夫さん・山手)が「新生消防団への提言」をまとめ、中消防署の味上篤署長(当時)に提出したことで具体的に動き出した。
近年、団員のサラリーマン化が進みこれまでの組織運営の在り方に変化が求められていたことがある。また、訓練指導者育成研修や女性消防団員あり方プロジェクトなどのイベントを既に3団合同で実施する体制を整えており、団を超えた交流の場が自然と増えていた背景もある。
消防団とは、消防署と同じ消防組織法で定められた消防機関。横浜市の団員は非常勤・特別職の地方公務員で、普段は仕事や学業、家事などに従事しながら、災害対応や地域の防災指導などに可能な範囲で参加している。一定の条件を満たせば外国籍の人の入団も可能だ。
活動内容は有事の消火、人命救助、避難誘導、地域防災拠点(避難所)の運営支援など。また平時の防火、防災の普及啓発活動や応急手当などの研修、団員募集なども行っている。
これまでは中区を3つの管轄(伊勢佐木、加賀町、山手)に分けて活動していたが、火災発生場所によっては消火活動の現場で先着の団が後着の団に指揮権を戻すなど、同じ行政区でありながら煩雑な手続きが生じていた。今後、特に大規模災害が発生した際など各地域の管轄を超えて出動することを想定し、統合することでより効率的な体制に移行したい考えだ。
今回の統合について、山手消防団の添田勝夫団長は「以前から一緒に訓練を行うなど、段階を踏んで統合に至りました」と統合までの流れについて振り返った。伊勢佐木消防団の永田二朗団長は「130年という節目の時期に、天命のようなタイミングでの統合になりました」と話した。加賀町消防団の高橋伸昌団長は「それぞれの団には歴史と伝統に基づいた違う文化があります。しかし『地域を守る』という共通の思いで、誇りと責任をもった消防団にしていきたい」と決意を新たにした。
消防団の始まりは今から130年前の1894年に発足した「消防組」。当時の消防組設置令の公布に基づき、3組(伊勢佐木、石川、山手)の217人が編成された。1912年には消防組に「常設消防隊」が併設され、これが後の消防署となる。その後も消防組は存続し続け、22年11月には現在の伊勢佐木、加賀町、山手を含む15消防組に発展。翌23年に発生した関東大震災時に大いに活躍したとされている。
その後、31年9月の満州事変を機に、日本は戦争状態に突入。32年9月に陸軍が神奈川県や横浜市との協議の上、防空活動を行う「防護団」を結成するが、消防組との業務が重なることから対立が生じたという。日中戦争勃発を受け、39年、2つの組織は「警棒団」として統合された。第二次世界大戦中、警棒団には団数20、計8932人が集まるようになり、戦争時の警防活動と防空消防の一翼を担った。
終戦後の47年、地方自治の精神に基づき市町村の責任において「消防団」を設置することが定められた。翌年48年には、自治体消防が発足し、消防団は公設消防(現在の消防署)とともに横浜市に移され、「横浜市消防団」の歩みが始まった。
その後、市行政区の編成の変更が複数回行われ、それに伴い消防団の数も増加。2023年4月現在、市内で7926人が所属し、充足率は95・4%となっている。
現在、市内消防団の女性消防団員数は1511人。市内で初めて女性団員が任命された1997年の190人から約8倍に増加している。採用のきっかけは、95年に発生した阪神・淡路大震災において火災のほかに救助や救急事案が多く発生したことだった。震災後、あらゆる分野において男女が共同して参画するという基本理念のもと、女性団員の採用が積極化した。
また各消防団からも同様の提言がなされ、「横浜市消防団員の定員、任免、給与、服務等に関する条例」第3条に規定されていた男子条項の削除を行ったことも、女性消防団員が誕生することに起因したという。
現在、消防団は団員を募集中。詳細は「横浜市消防団」HPで確認を。