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東海道五十三次「神奈川宿」ショートトリップ

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横浜を初めて訪れた方も、もちろんハマっ子も!横浜の歴史に触れることにより、もっと横浜が好きになる「横浜観光親善大使と巡る歴史旅 ヨコハマ再発見」!第2回目は、横浜港ができるまで、日本の開国の舞台の一つになった「神奈川宿」に焦点をあて訪ねてみます。今回の出発はJR東神奈川駅から。スマートフォンアプリのマイルートを起動して、いざ出発!

 

 

旅のナビゲーターはもちろん第18代横浜観光親善大使の稲垣薫(いながきかおる)さんと首藤櫻(しゅどうさくら)さん。旅のムードを盛り上げてもらうために、初めて和装にチャレンジ!今回もよろしくお願いします!

 

 

さっそくJR東神奈川駅の構内には、本日訪れる神奈川宿が描かれた、歌川広重の錦絵(レプリカ)が飾られていました。今の横浜駅あたりは海だったなんてびっくりですね!

JR東神奈川駅を徒歩で出発して最初に訪れたのは、東海道の並木道を再現した通りにある高札場(こうさつば)。高札場とは、幕府や領主の最も基本的な法令を書き記した木の札(高札)を掲示した施設であり、江戸時代は6万を越える全国の村々に存在していたと言われています。村の中心や、主要な街道が交錯する交差点といった人通りの多い場所に設置されることが多かったようです。

 

 

次は神奈川台場跡(星野町公園)に向かいます。マイルートで検索すると距離は徒歩で1.1km。せっかくの着物姿だし、タクシーで向かいましょう。マイルートなら、タクシーサービスとも連動しているので、ルート検索上から簡単にアクセスできました!

 

 

そんなこんなで神奈川台場跡に到着。「台場」とは幕末、黒船などの外国船から領土を防衛するための砲台のあった場所。
日本各地に1,000個ほども作られた「台場」。神奈川台場は、横浜が開港される1859年に着工、翌年完成した石垣が現在も残っています。開国後に竣工(しゅんこう)したために他の台場とは異なり、国際港として外国の貴賓が港に入った際に祝砲や礼砲を上げるという外交儀礼を果たすための機能が重視され、攻撃の砲は一度も打たれたことはなかったそう。形がコウモリに似ているので、コウモリ台場とも呼ばれていました。神奈川台場の設計をしたのは幕末の偉人、勝海舟です。

 

 

山本博士蔵 横浜開港資料館寄託

 

1899年、台場は外国人居留地の廃止とともに役目を終え、次第に埋め立てられたそう。神奈川台場は横浜開港150周年を記念し、石垣が星野町公園内から見えるように整備がおこなわれました。街と遺構が溶け込んでいてとても素敵な風景ですね。

ちょっと歩いて、小腹がすいたのでお茶でもしましょうか。横浜中央卸売市場の入り口にある大きなチーズケーキの看板に誘われ、「ガトーよこはま」にやってきました。運河沿いにあるチーズケーキのお店で、奥にはかわいいカフェもあります。

 

 

 

 

何といってもここで有名なのは「伝説のチーズケーキ」!なぜ“伝説”なのかは、お店のスタッフさんに聞いくださいね。チーズケーキはとっても濃厚。美味しくてびっくりした顔も素敵ですね!

 

 

そのまま横浜駅方向に戻るように歩いて訪れたのは、宮川香山 眞葛ミュージアム。

 

皆さん眞葛焼の宮川香山ってご存知ですか?

 

崖ニ鷹大花瓶 一対 山本博士蔵

 

琅玕釉蟹付花瓶 山本博士蔵


「幻の焼き物」と言われた眞葛焼。その始祖の初代宮川香山は1842年京都真葛ヶ原の出身で、代々焼き物を生業とする家庭に生まれました。1870年、香山29歳のときに薩摩藩御用達 梅田半之助の勧めにより、輸出向けの陶磁器を製造するため横浜にやってきました。翌年に香山は、横浜太田村字富士山下(南区庚台)に眞葛窯を開窯。1876年のフィラデルフィア万国博覧会に出品された眞葛焼は世界で絶賛され、眞葛焼と宮川香山の名を知らしめたそうです。それ以降、30年以上に渡り世界の賞を数々受賞。その技は、二代目、三代目と引き継がれていました。しかし、1945年の横浜大空襲により壊滅的な被害を受け、窯は閉鎖。四代目香山による復興もむなしく、その歴史の幕は閉じられました。これが「幻の焼き物」といわれる所以です。

 

 

 

今回は特別に山本館長に眞葛焼の作品解説をしていただきました。作品は立体的なモチーフのものが多くその精巧さやリアルなモチーフに二人とも感動。横浜で育った芸術が世界中の美術愛好家に評価され、今も尚、その作品は横浜で多くの人に感動を与え続けることにとても誇りを感じました。山本館長に「横浜愛」を感じた有意義な時間でした。

さて、ランチの時間です!
ランチの場所は、ミュージアムすぐそばのGOOD OPEN AIRS myX(マイクス)にあるカフェクリックス。アウトドアスポーツショップの隣にある開放的なレストランです。

 

 

 

お二人が頂いているのは人気定番メニューの特製ベイクト・パスタと焚き火ハンバーグ!特製ベイクド・パスタは、表面はカリカリなのに麺はもちもちでマッシュルームとウインナーの味が染みていて美味!焚き火ハンバーグは、和風ソースなのに食べ応えがあり、マッシュポテトの手作り感がGOOD!と感激でした!他にも美味しそうなメニューがたくさんありましたよ!

さて、ランチの後はまた徒歩で青木橋を越え、高台の中腹にある曹洞宗青木山本覚寺に。

 

 

山本博士蔵

 

山門から振り返ると横浜駅とその周辺のビル群が見えます。今回は、眞葛ミュージアムの山本館長から写真をお借りして約150年前の風景と対比をしてみました。横浜駅はまだ海の中で洲の真ん中にできたばかりの鉄道の線路を見ることができます。あれから、関東大震災、第2次世界大戦の空襲と何度も横浜は焼け野原になりましたが、今では1日平均の乗降客数約230万人(2017年度)日本で4番目の巨大ターミナル駅になっています。

さて本覚寺ですが、1858年の横浜の開港時には、横浜港が一望できることからアメリカの領事館が置かれました。当時の領事館員たちは、日本には存在していなかったペンキで、建物の彫刻などを塗装していったそう。今でも塗装跡を見ることができ、特に山門は、日本で初めてペンキが塗られた純日本建築物であると言われています。また、1862年の生麦事件で負傷者がこの本覚寺へ逃げ込み治療を受けた事でも有名ですね。

 

 

山門にはいまだに白のペンキ跡がうっすらと・・・

 

 

本堂は本当に立派で秋晴れの空にくっきりと・・・

そして、神奈川宿(台町)の上り坂の入口には大鋼金毘羅神社が鎮座しています。昔から神奈川湊は、菱垣廻船、樽廻船、尾州廻船、北前廻船などの多くの船が出入りし、江戸と上方の物流拠点として栄えてきました。今でも横浜の金刀比羅(こんぴら)さんの御神徳を知る多くの船舶関係者を始め、農業、建築関係、医療関係者、住民にいたるまで皆さんに愛されています。

 

 

階段を上がると、横浜駅のすぐそこであることを忘れてしまうほど静かな場所です。

 

 

境内には山岳信仰のシンボルとも言える「天狗像」が今も鎮座していて、「天狗伝説」として語り継がれています。自然を取り入れた崇拝様式は神聖な空間で、心身が浄化されていくようです。

 

 

 

 

そして徒歩で坂を移動し、台町の中腹にある1863(文久3)年創業の田中家さんに二人でお邪魔させていただきました。田中家さんは、歌川広重の浮世絵にも描かれている「櫻屋」がその前身と言われています。江戸時代は東海道の3番目の宿場として「神奈川湊(みなと)」の景勝地でしたが、残念ながら今はその風景は望めません。田中家さんのすぐ横の階段を降りると、徒歩約10分で横浜駅にアクセスできる好立地です。

 

 

田中家さんの黒壁には神奈川宿の解説板があり、まずお邪魔する前に二人で予習しました。

 

 

田中家さんの入口。 さすが老舗料亭の風格です。

 

 

玄関で、5代目女将 平塚あけみさんがお出迎えしていただきました。女将のお話しによると、田中家さんでは坂本龍馬の妻おりょうさんが竜馬の死後、仲居として働いていたと言われています。月琴を奏で、外国語も堪能で、物怖じしない性格が、外国のお客様に評判だったとのこと。

 

 

女将自らが、横浜の開港の頃の話をパワフルに、そして優しく説明をしてくれました。女将さんありがとうございました。また、「最近は、若いお客様も多くご利用いただいています。」と6代目若女将談。フランス料理やイタリアンで記念日を祝うのも良いけど、老舗料亭での大切な人とのお食事もたまには良いのではないでしょうか。

 

 

田中家では、横浜芸妓組合の協力のもと「お座敷プラン」も。お座敷遊びや日本舞踊にお三味線もちょっと体験してみたいものですね。

 

 

この頃人気のウナギ鍋コース。この鍋の他に5品ついてお一人様10,000円(税・サービス別)とリーズナブル。事前にご予約をお願いしますと若女将さん。(詳細はHP参照)

そして、田中家さんに別れを告げてゆっくりと台町の坂を上ったところに神奈川台関門跡はありました。

 

 

なぜここに関門が設けられたかというと、開港後に外国人が何人も殺傷され、イギリス総領事オールコックを始めとする各国の領事たちは幕府を激しく非難。幕府は1859年横浜周辺の主要地点に関門や番所を設け、警備体制を強化したそうです。この時に神奈川宿の東西にも関門が作られました。そのうちの西側の関門が、神奈川台の関門です。しかしながら、1871年には、他の関門と共にともに廃止されました。

 

 

神奈川宿の散歩コースの途中には、解説板などがたくさんあり、ゆっくりと歩きながら勉強ができます。

 

 

ところどころに見かける車止めの上の部分は、神奈川区に残る「浦島太郎伝説」にあやかってカメの甲羅の形をしています。今度は、浦島太郎伝説を調べに来たいですね。

神奈川宿の史跡はまだまだありますが、今回はここまで。このまま徒歩で横浜駅に向かいます!横浜観光親善大使のお二人、マイルートを使った歴史旅はいかがでしたか?

次回はどんな歴史を発見しましょうか。

<取材協力先一覧>
※お店の営業時間などは変更になっている場合があります。
事前にお調べになってからお出かけください。

 

<協力>
公益財団法人横浜観光コンベンション・ビューロー

<衣装協力>

 

 

レポート:小嶋 寛
写真:清水和成

 

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