“ミナト横浜”といえば、「マドロスさん」「水兵さん」「セイラー」が似合うまち。明治のころから多くの船乗りたちがこの横浜を愛してきました。今回はそんな船乗りさんになったつもりで歴史を追って訪ねてみたいと思います。もちろんこの旅の水先案内人(ボースン)は、横浜生まれ横浜育ちの高校生、陣あいりです。
サー!船乗りたちが愛した横濱エキゾチックストーリー、my routeをセットしてセイルオン!
※ボースンとは水先案内人で船用語
JR桜木町から海側に歩いて約5分、あいにくのお天気ですが、頑張るぞ!
日本丸メモリアルパークにある、横浜みなと博物館にやってきました。今年6月にリニューアルオープン!船乗りさんになったつもりで見学するぞ!
横浜みなと博物館内にある柳原良平アートミュージアムにやってきました。アンクルトリスの広告デザインや船の絵で知られる柳原良平さん(1931~2015)の常設展示室「柳原良平アートミュージアム」が、2018(平成30)年3月に横浜みなと博物館内にオープンしました。2016(平成28)年に、ご遺族から横浜市に寄贈されたイラストレーションや油彩画など、約150点の作品を展示。また年に数回、テーマを決めて特集展示を行っています。
柳原良平さんの多彩で多様な世界は、世代を超えて楽しめますね。船長さんやお船の数々など愛嬌があって可愛いです。
柳原良平さんって、海と横浜そして港を愛するダンディなおじさまだったのですね!
横浜みなと博物館は横浜港をテーマにした博物館。
「歴史と暮らしのなかの横浜港」をメインテーマに、横浜港に関する調査・研究、資料・図書の収集・保存、展示・公開、教育活動を通して、一人でも多くの人が、より横浜港を知り、考え、楽しむことができる博物館をめざしています。写真は新しくなった展示スペース「コンテナ輸送時代の到来」コーナーです。
ガントリークレーンを操作し、コンテナの積み下ろしを体験できるシミュレーターです。
これは、はまります。ユーフォーキャッチャーの港のクレーン版のようで、初心者でも十分楽しめます。
現代の横浜港も触って覚えると、すんなり覚えられるんですね。
VRシアター「みなとカプセル」を体験!
帆船日本丸の歴史や総帆展帆を5面のLEDパネルの映像で体感できるシアターで、臨場感満載です。ぜひ体験してみてくださいね。
ここは、「横浜港の埋立」コーナー。横浜臨海部の地形を再現した模型に映像を投影し、江戸時代から現在までの埋立の移り変わりを紹介。港からの物流もリアルに理解できました。
常設展示室は、「横浜港の歴史」ゾーンでは、開港から約160年の横浜港の歴史を7つの時代に分けて振り返ります。開港前の吉田新田や横浜村の時代から、ペリー来航、大さん橋建設、客船の黄金時代、戦中・戦後の横浜港、コンテナ船の登場、そして現代の横浜港までを紹介しています。今年6月、リニューアルした横浜みなと博物館。横浜の港のことを知りたいならぜひゆっくりみて、触って、感動して、楽しんでくださいね
オリジナル土産も販売中、ピンバッチ472円、タンブラー1,210円です。
帆船日本丸・横浜みなと博物館の詳細は
https://www.nippon-maru.or.jp/
ここは、運河パークから万国橋に通じるポケットパーク。
この足元の模様ってトランプデザイン!1~10までデザイン。11以降はというと、11はジャック(横浜市開港記念会館・現在工事中で閉館)12はクイーン(横浜税関)13はクイーン(神奈川県庁)と今はクイーンの塔しか見えませんが、船乗りたちが名付けた、横浜三塔。この場所は船乗りたちの遊び心を感じ取れる場所ですね!
山下公園の「赤い靴を履いていた女の子橡」。
童謡『赤い靴』の2番の歌詞に「横浜の埠頭から 汽船(ふね)に乗って」と出てくることから、赤い靴の女の子の舞台が横浜であることがわかります。 童謡『赤い靴』の歌詞をモチーフとし、横浜のシンボルとして、1979(昭和54)年、山下公園に建てられたのが『赤い靴はいてた女の子像』です。この作詞をした野口雨情は、横浜の港と物悲しい少女の実話を重ね合わせ、マドロスになった気持ちで詠んだのかもしれませんね。
氷川丸は日本郵船が1930年にシアトル航路用に建造した貨客船です。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦までに3回も触雷しましたが沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と、活躍したお船です。きっと多くの船員たちの恋の話もあったはずです。
かもめの水兵さんの歌碑にやってきました。
『かもめの水兵さんならんだ水兵さん
白い帽子 白いシャツ 白い服波にチャップ チャップ うかんでる』
じっくり味わって歌ってみると、水兵さんが踊っているような歌ですね。戦前の横浜港の情景が浮かんでくる童謡の名曲です。
シルクセンターの1階に位置するショップ&ギャラリー、エクスポート。
人とモノ、モノとコト、人とコトをつなぐ、情報とデザインとグッズの発信拠点として2021年9月にオープン。ここでは船に関する横浜のお土産がいっぱい。オリジナルのセンスのあるグッズが所せましとレイアウトされています。
私が持っているのは、廃版となった海図を再利用した封筒。かなりマニアックでSDGs!
日本郵船博物館や商船三井の商品もあります。
エクスポートは、ランドマークタワー69階スカイガーデン、マリンタワー2階、赤レンガ倉庫1号館にもそれぞれのコンセプトでショップを展開しています。
エクスポート
http://www.xport.jp/shop.html
横浜港大さん橋国際客船ターミナルの入り口に来ました。ここで少し大さん橋の歴史を紹介しましょう。まさに横浜のマドロスたちの歴史でもあります。
明治末から大正前期の大さん橋(写真提供:横浜都市発展記念館)
1894(明治27)年に完成した鉄桟橋を前身とし、「税関桟橋」「横浜桟橋」「山下町桟橋」等の様々な名称がありましたが、その後、「大桟橋」に落ち着いたとのことです。その他、太平洋戦争後連合軍に接収されていた間は「サウスピア」とも呼ばれ、明治の末頃から1970年頃までは「メリケン波止場」とも呼ばれていました。
大正期の横浜桟橋(写真提供:横浜都市発展記念館)
歴史としては、安政6(1859)年に開港した横浜港に、本格的な港湾施設として、明治22(1889)年から29(1896)年にかけて建設された横浜港で最も歴史のあるふ頭です。
昭和39(1964)年の東京オリンピック開催を契機に、外航客船に対応する客船ターミナルの新設をはじめとした大改造を行い、本格的な客船ふ頭として横浜港に入港する客船を迎える横浜港の玄関となりました。
昭和前期の各国の巨船繋留絶間なき屋上桟橋の美観(写真提供:横浜都市発展記念館)
建設後100年が過ぎ、構造的な老朽化が進んだことや本格的なクルーズ時代に向けての全面的な施設の改修を行うため再整備工事を行い、2002年、日韓両国で開催されたFIFAワールドカップサッカー大会に合わせ、リニューアルオープン。21世紀のクルーズに相応しい国際客船ターミナルとして、また市民や観光に訪れた皆様が港や客船に親しむことの出来る施設として、生まれ変わりました。
「特別企画:丸りおな・高橋しよはのスカンディアwaデリシャス!」
大さん橋の入り口にある、「ザ横浜」と言っても言い過ぎではない老舗のレストラン「スカンディア」にmy route
アンバサダーのお二人に行ってもらいました。
みなさんこんにちは、my routeのアンバサダーの丸りおな・高橋しよはです。今日は横浜の老舗のスカンディアと聞きつけ、陣あいりちゃんが学校ということも幸いし、わたしたち2人が「ヨコハマを巡る歴史旅 ヨコハマ再発見!」特別版として食リポを担当することになりました。どうぞよろしくお願いします。ここはスカンディアの2階に上がる入口です。豪華客船に迷い込んだようで、世界一周に出かける気分です。
スカンディアは、昭和37(1963)年開業、現在91歳になるオーナーの濱田さんの船乗りだったデンマーク人の旦那様とはじめた、スカンジナビア政府観光局お墨つきのレストラン。日本でスカンジナビアを味わえる場所のひとつで、日本でもめずらしいスカンジナビア料理(北欧料理)が食べれる横浜の老舗です。
2階の店内はとてもシックな佇まい、カウンターでは、今でもマドロスたちの笑い声が聞こえてきそうです。
オーナーご自慢のマティーニやカクテル。横浜に米軍人や貿易商社、船会社が多かった頃、教えてもらったレシピが今も受け継がれているそうです。
今では「一度は行ってみたい有名店」として地元横浜の経済人にはもちろん、多くの有名や著名人に愛されているスカンディア。世界的な指揮者のカラヤンや美空ひばりさん、松任谷由実さんご夫婦、桑田佳祐さんなど著名人も数多く来店。
ここで目を引くのは、北欧のレリーフの数々。これを見て回るだけで、なんだか北欧の美術館のようだ。
今日はここの名物料理である、「スモーガスボード」を頂くことに・・・
バイキングスタイルの盛り合わせ『スモーガスボード』。一般的なバイキングスタイルは一度席を立ち、大皿から好きな料理を皿に取り分ける方法だが、スカンディアのスモーガスボードは、席についたままでテーブルの上で楽しめるようにアレンジしています。
いただきます。スモーガスボードは、前菜7種、デンマークチーズ2種、魚・肉料理5種、アイスクリーム・コーヒー・紅茶で構成されています。2人で食べ始めはじめたら無口に、お店の雰囲気でよって、料理の数々に大満足。誰か私をスカンジナビアに連れて行って!
特にこのカクテルグラスの中のキャビアの大盛に大感激です。ちなみに二人ともキャビアは初体験でした。
スカンディア
https://scandia-yokohama.jp/
横浜新港エリア、横浜ワールドポーターズとマリン&ウオークの間にあるJICA横浜内にある、「海外移住資料館」にやってきました。なんと無料の施設なんですよ。
海外移住資料館は南北アメリカを中心とした日本人の海外移住の歴史および移住者と日系人の現在をテーマにした資料館です。
JICAの前身組織の一つは戦後、主に中南米への移住事業に携わっていました。移住事業は既に終了していますが、JICAでは現在まで中南米の日系社会と日本を繋ぐ事業を継続しています。日本の海外移住の歴史、そして移住者が移住先国や日本に対して果たした役割や貢献、および移住者と日系人の現在の姿を多くの人々に知っていただくため、2002 年に移民船出港地の一つであった神奈川県横浜市に、横浜センター設立とともに海外移住資料館を開館しました。
日本人の海外移住は、1866年に海外渡航禁止令(鎖国令)が解かれてから、すでに150年以上の歴史があるそうです。ハワイ王国におけるサトウキビプランテーションへの就労に始まって、アメリカ、カナダといった北米への移住、そしてその後1899年にはペルー、1908年にはブラジルへと日本人が渡ります。そして、1924年にアメリカで日本人の入国が禁止されると、大きな流れが北米から南米へと移っていきます。その結果、第二次世界大戦前には約77万人、大戦後には約26万人が移住しています。
写真は、アリアンサ移住地の当時の様子を再現したものです。
展示ガイドなど様々な分野でボランティアさんが活動しています。
館内は、海外移住の歴史を5期に分け、年表、文献、写真、映像によって各時代の重要な出来事をわかりやすく見て回ることができます。世界移住マップ、都道府県別の移住者数をあらわした立体地図、ハワイの官約移民や書生、最後の移住船にっぽん丸などのトピックスを取り上げたコーナーもあります。
写真は、当時の移住地の売店「萬屋」の様子。
移住の歴史について今まで知らなかったけど、横浜港から多くの日本人が移住したことを考えると、一つの歴史的な出来事として知っておくべきだと思いました。
海外移住資料館
https://www.jica.go.jp/jomm/index.html
JICA横浜の3階にあるポートテラスカフェにお邪魔しました。
目の前には横浜赤レンガや大さん橋が見える素晴らしい眺望です。
このポートテラスカフェ、JICA横浜で研修中の海外からの研修員だけでなく、一般の方々も利用可能で、私がお邪魔した時も、家族づれやカップルも研修員にまじってランチを楽しんでいました。。
本日いただいたのは、人気メニューの5種類野菜のメンチカツカレー680円
そのほかのメニューは、日替わり・週替わりランチや、イスラム教徒の戒律に従って処理したHALAL MEATを使用したメニューやベジタリアン向けメニュー、和食からエスニック料理、あと南米のビールなど・・・国際色豊かなメニューをご用意しています。価格もリーズナブルです。「食」を通じて、世界を味わえる空間です。
メンチカツカレー、私にはちょっと辛かったけどおいしかったです。
今日はあいにくのお天気ですが、次回はテラスで横浜の景色を堪能しながらお友達とまた来ます。
JICA横浜
https://www.jica.go.jp/yokohama/index.html
関内の太田町にあるギリシャ料理のオリンピアにやってきました。ネオン看板ちょっとレトロでそれでいてエキゾチックなレストランです。
このダンディな叔父様は、ギリシャ人オーナーのジョージさん。元ギリシャ船の船乗りさんでした。
ジョージさんは横浜に移り住んで約半世紀。出身は小泉八雲(ラフカディオ・ハーン)と同じイオニア海に浮かぶレフカダ島の生まれ。現在、彼はこのオリンピアをはじめ、中華街の入り口にある横浜を代表する老舗バー「アテネ」「ゾルバ」のオーナーでもあります。
「昔、ギリシャは、船をたくさん持っていて、海に囲まれたギリシャでは、船乗りになるのが当たり前だった。」と、ジョージさん。昔から日本が大好きだったと話す。その後横浜に根を下ろす。そして飲食店を伊勢佐木町の5-6丁目の鎌倉街道沿いにて経営。「ギリシャ人船乗りや外国船の関係者が集うレストランやバーを経営。横浜港に船が入ると、外国人船員で賑わった」と話してくれた。「今みたいにコンテナ船は荷物をおろすと、すぐに出航してしまうけど、昔は、荷物をおろすのに時間がかかったので、数週間滞在したよ」その間、作業を待っている船乗りたちはたくさんお金を使ってくれたそうです。
オリンピアの店内は、お船のキャビンのようです。横浜を代表する老舗バーやレストランは、なぜか“船のキャビン風インテリア”が多いのに気づきます。きっとジョージさんの様に、陸に上がった船乗り達が、レストランを経営したことで、船乗りだったころを思い、キャビン風になったのかもしれません。
はい、お腹すきました。今日はギリシャ料理を代表する4品を出してくれました。
ギリシャ料理とは、一言でいうならオリーブオイルをふんだんに使い、ギリシャの豊富な食材の数々をシンプルかつ豪快な調理法で作る素朴なお料理です。
ヤギのチーズとオリーブの入ったギリシャサラダ
ガーリックポテトと一緒に食べる、イカをフライにしたカラマリ
ジャガイモとミートソースと茄子とホワイトソースを重ねてオーブンで焼いたギリシャの家庭料理の代表格のムサカ
最後は、オリンピアの自慢のラムチョップ。
ギリシャ料理は初めてのあいりさん「お父さんにも食べさせてあげたい」と・・・・・
今日の取材は、雨模様でしたが、美味しいものたくさん食べて大満足でした。
オリンピア
https://www.olympiayokohama.com/
「船乗りたちが愛した横濱エキゾチックストーリー」楽しんでいただけましたか?やはり横浜は港からの文化や伝統がたくさん息づいているし、船乗りたちの香り漂う街でした。
今回はここまで、次回はどこに行こうかな?
※取材は新型コロナに配慮して感染予防をして取材に臨んでいます。写真撮影時のみフェイスマスクをはずしています。
※施設やお店の営業時間などは変更になっている場合があります。 事前にお調べになってからお出かけください。
協力:(公財)横浜観光コンベンション・ビューロー
レポート:小嶋 寛
写真:清水和城