横浜を初めて訪れた方も、もちろんハマっ子も!横浜の歴史に触れることにより、もっと横浜が好きになる「横浜を巡る歴史旅 ヨコハマ再発見」!
今回は、今年注目を集める「鎌倉」をテーマに、横浜金澤を歴史散歩。案内をするのは、はじめて登場の横浜観光コンベンション・ビューロー広報担当の菅野もえさん。
風光明媚な金沢は鎌倉時代には朝比奈の切通しを越えて、鎌倉まで塩を運んだ重要な港があったと聞く。故に源頼朝や北条氏ともゆかりが深い。
さあ歴史と文化が息づくこの街で鎌倉時代にタイムスリップしよう。
「いざ鎌倉!」
スタートは、京浜急行電鉄 金沢八景駅。今回の案内は初めて登場の菅野もえさん。スマホのmy routeの画面を見ながら「いざ横浜金沢へ!」
改札をでると「鎌倉殿×横浜金沢」掲示板。これからの歴史旅がちょっと楽しみです。詳細な内容は、横浜金沢観光協会のホームページにもアップされています。
https://yokohama-kanazawakanko.com/...
資料提供 神奈川県立金沢文庫
元禄7(1694)年頃に金沢の地に立ち寄った中国僧、心越禅師(しんえつぜんじ)は、能見堂(今の能見台)からの風景が故郷中国の瀟湘(しょうしょう)八景にそっくりと絶賛。このことから金沢八景と名付けられ、駅名にもなりました。2枚の錦絵の上の作品は、「諸国名所記 武陽金沢一覧山」下の作品は金沢八景のうちの一作品「平潟落雁」です。作者は共に幕末の浮世絵師、歌川広重が描いたものです。広重が描いた八景を見たい方はこちら
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さて最初の訪問地は金沢八景駅から歩いて2分の場所にある瀬戸神社です。
元来、この地は入海の瀬戸(狭い海峡)で干満時に急流となり、海上交通の難所であったため、5~6世紀の頃から海神を祀っていたようです。この霊地に源頼朝が挙兵に際して戦勝を祈願して、伊豆三島明神を勧請したのが瀬戸神社の始まりと聞きます。鎌倉時代から伝わる多数の文化財が保存されており、なかでも源実朝が使用し、母の北条政子が奉納したといわれる舞楽面二面(抜頭面と陵王面)が平成12年、国の重要文化財に指定されたことが特筆されます。
神社の社務所には歴史展示室があり、歴史に造詣の深い佐野和史宮司が案内をしてくれました。宮司ありがとうございました。
瀬戸神社の前の国道16号を渡るとすぐに琵琶島があります。
治承4(1180)年、源頼朝が三島明神を勧請して瀬戸神社を創建した時に、夫人の北条政子が夫にならって、日頃信仰する琵琶湖の竹生島弁財天を勧請して、瀬戸神社の海中に島を築いて創建したと伝えられています。祭神は立ち姿なので「立身弁財天」または島の形が琵琶に似ていることから「琵琶島弁財天」とも呼ばれています。
琵琶島でお迎えしてくれたのが、横浜金澤七福神の一つ弁財天。「金沢区は一年中七福神めぐりができます。」と横浜金沢観光協会の佐藤事務局長が教えてくれました。
横浜金沢七福神
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琵琶島の一番先までやってきました。入江の中の静かな場所で、昔ここが金沢八景という地名もなった風光明媚な場所であることが今でも容易に想像できます。写真の奥に伸びるのはシーサイドラインの線路です。これに乗れば「横浜・八景島シーパラダイス」まではすぐです。
北条政子とも深い繋がりがある琵琶島神社は、海運・商売繁盛の神様として「舟寄弁天」とも呼ばれて古来から崇拝されていたそうです。
瀬戸橋にやってきました。
セトとは狭い門「ト」を意味する古い言葉で、江戸時代中期までは瀬戸橋より北側の文庫駅あたりまで内海が広がっていました。瀬戸橋のあたりの狭くなった所は潮の流れが速く、小舟で渡るのも難儀だったと聞きます。鎌倉幕府は六浦の港を重視し、臨時の税金を徴収して瀬戸に橋をかけました。そのお陰で、町屋・寺前などが発展しました。広重の江戸名所図絵には、瀬戸橋のあたりの賑わいが描かれています。
明治憲法草創の碑を左に曲がると横浜金沢の歴史散策コースとして整備された歴史の道を歩くことができます。ちょっと歩くと洲崎神社が見えてきます。
洲崎神社の創祀については不詳ですが、元富岡村と柴村の間にあった長浜に祀られていたといいます。鎌倉後期1311年の大浪に村全体が飲み込まれ、長浜で生き残った住民が鎮守大六天と共に当地に移住したと語られています。中世の津波の恐ろしさを伝える災害遺産なのかもしれません。
歴史の道沿いにある龍華寺にやってきました。華(はな)のお寺としても有名で、ちょうどお邪魔したときは、牡丹の見ごろでした。
源頼朝が瀬戸神社を建立した後、文覚上人と共に瀬戸神社の別当寺として六浦山中に建てた「蔵福寺(のちに浄願寺と改名)」が始まりといわれています。その後、戦乱や火災で浄願寺の伽藍が荒廃したため、明応8年(1499)融弁上人(ゆうべんしょうにん)が、兼務していた光徳寺と併合し、当地に移り、龍華寺となりました。
この龍華寺の七福神は大黒天です。
歴史の道を金沢文庫方向にちょっと歩き、右に曲がったところに伝心寺はあります。
伝心寺は曹洞宗のお寺で、創建は宝治(1247)年、開基は執権北条時頼公とされており、本尊は釈迦如来で、脇仏に普賢菩薩と文殊菩薩を配しています。
お寺は数回の火災等に遭いましたが、大永元(1521)年、北条氏繁公が道了山(どうりょうざん)より養拙宗牧(ようせつしゅうぼく)大和尚を招いて開山として再興したと言われています。北条氏繁公は、常陸介を名乗り、玉縄城主を務め、後に岩槻城城代、鎌倉代官なども務めた戦国時代の武将でした。
伝心寺の七福神は毘沙門天です。
金沢八幡神社にやってきました。金沢八幡神社の創建年代等は不詳ながら、鎌倉時代には既に創建していたと言われています。
三療山 薬王寺にやってきました。
源頼朝の弟・三河守源範頼は、伊豆修禅寺にて梶原景時に攻められ自刃しました。
源範頼の別邸の地、瀬ケ崎に範頼の霊を弔うために建立された真言宗の寺で、三愈山愈遍照坊と称し、衰えましたが再興され、その後三療山薬王寺となり現在にいたります。
本尊の薬師如来は、源範頼の念持仏といわれています。源範頼の位牌を祀り、毎年8月24日の命日には「三河忌」として追善供養を行っています。朝晩の6時に鐘をつき、時を知らせるお寺としても有名です。
称名寺にやってきました。朱塗りの赤門をくぐると桜並木の参道が続きます。
こちらは、仁王門。鎌倉時代に造られた高さ4mの大きな仁王像が出迎えます。
仁王門横の通用門を入ると、阿字ヶ池を中心に中之島・反橋・平橋を配した「浄土庭園」が広がります。
称名寺は、13世紀半ば頃、北条実時が創建しました。
現在の庭園は、1987年に修復され、緑豊かな金沢三山(金沢山・稲荷山・日向山)を背に金堂・釈迦堂・鐘楼(称名晩鐘)を見ることができ、四季折々の姿を楽しめます。
称名寺から金沢文庫の建物に通じるトンネルの横には昔、使われていたトンネルの跡が残っています。この隧道(トンネル)は、中世につくられたもので、称名寺の伽藍が完成した元享(1323)年に描かれた「称名寺絵図」には阿弥陀堂のうしろの山麓に両開きの扉があり、その洞門の位置に一致します。今は通れませんが、かつてを偲ぶ遺構が残っているのに感激しました。
現在のトンネルを抜けて神奈川県立金沢文庫にやってきました。現在、5月22日(日)まで名品撰品‐称名寺・金沢文庫の名宝への学芸員のまなざし‐(特別展)を開催中です。
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/...
金沢文庫は鎌倉時代のなかごろ、北条氏の一族(金沢北条氏)の北条実時が武蔵国久良岐郡六浦荘金沢(現、横浜市金沢区)の邸宅内に造った武家文庫です。その創設の時期についてはあきらかではありませんが、実時晩年の建治元年(1275)ごろと考えられています。蔵書の内容は政治・文学・歴史など多岐にわたるもので、収集の方針はその後も顕時・貞顕・貞将の三代にわたって受け継がれ、蔵書の充実がはかられました。金沢北条氏は元弘(1333)年、鎌倉幕府滅亡と運命をともにしましたが、以後、所蔵は隣接する菩提寺の称名寺によって管理され近代に至りました。現在の金沢文庫は昭和5年(1930)に神奈川県の施設として復興したもので、平成2年(1990)から装いも新たに中世の歴史博物館として活動を行っています。
収蔵資料としては、
資料提供:神奈川県立 金沢文庫
国宝 北条実時像 鎌倉時代 称名寺
資料提供:神奈川県立金沢文庫
重要文化財 釈迦如来立像(院保作)鎌倉時代 称名寺
そのほか、金沢北条氏歴代(顕時、貞顕、貞将)の肖像画(いずれも国宝)や、称名寺開山の審海像(国重文)、極楽寺の忍性像(国重文)、中国からもたらされた十六羅漢像(国重文)や青磁壺(国重文)など仏像・多岐にわたる文化財を保管・管理しています。
神奈川県立金沢文庫
問い合わせ 045-701-9069
開館時間:9:00~16:30(入館は16:00まで)
休館日:月曜日(祝祭日の場合は開館で翌日休館、年末年始・その他臨時休業あり)
観覧料金など詳しくは、ホームページを参照願います。
カフェ金澤園にやってきました。カフェ金澤園は、称名寺から歩いて10分ぐらいのところにあります。日本家屋の素敵なカフェで、かつては潮の香がする避暑地の昭和の別荘だったという佇まいを残しています。
カフェ金澤園のメニューです。お薦めは、ランチ時であればオムレツセット(¥1540円)。喫茶であれば季節のタルトセット・ドリンク付き(¥990円)その他のメニューも食欲を誘いますね。
2階の大きな広間がカフェスペースになっています。建物は1929年に品川から金沢区の海沿いに移築した木造建築。1916年に現在の桜木町駅付近に創業した「料亭満月」を前身とし、1930年に旗亭(宿泊のできる料亭)金沢園として営業を始めたと聞きます。
2階からの風景。昔はすぐ下が海だったと想像ができる景観です。
昭和5年創業当時の金澤園の古写真
当時は建物の他に見晴台、弓道場などもあり、潮干狩りや海水浴、遊覧船などが楽しめるレジャー施設で与謝野晶子や高浜虚子も訪れた記録が残っています。その後、所有者の斎田さんが「ご近所の方々が気軽に来ていただけるようなカフェにしたい、この伝統ある建物を有効に使いたい」とカフェを始めたとお話を聞かせていただきました。
1階には、当時のままにお風呂なども残っていて、見学をすることもできます。
さてランチタイム!
今日のメニューは、評判のチーズのオムレツセットとデザートとしてバナナのタルトとオレンジジュースです。
もえさんに感想を聞いてみました。
「オムレツセットは、しっかりとした見た目ながら、中はとろとろの半熟でとてもおいしかったです。チーズが端までたっぷりと入っているのも嬉しいポイントでした。またタルトはしっとりとしていて優しい甘さのタルトにバナナがカラメリゼされて少し香ばしくアクセントになっていてこちらもとてもおいしく、オムレツを食べた後でもペロッと食べてしまいました。」との食レポでした。
カフェ金澤園
問い合わせ045-701-8664
建物:国登録有形文化財
営業時間: 平日 10:30~15:00 土日祝 8:30~16:00 定休日:火・水曜日(祝日営業あり)
最後に今回の取材でお世話になった(一社)金沢観光協会の常務理事兼事務局長の佐藤英一さんに、お礼も兼ねてお話を伺いました。「金沢区は、石川県の金沢と間違えられることが多いのであえて、“横浜金沢”と言うようにしています。今年のNHKの大河ドラマで『鎌倉殿の13人』が放映されるのを機会に、様々な取組をしています。もともと鎌倉時代の重要な拠点で朝比奈の切通しや六浦湊もあり、坂東武者とのかかわりなども深いところです。横浜金澤七福神も一年中やっていますのでぜひこれをきっかけに金沢区に遊びに来てください。「横浜・八景島シーパラダイス」・「三井アウトレットパーク・横浜ベイサイドマリーナ」そして「ブランチ横浜南部市場」などもあるので合わせてお楽しみくださいね」と笑顔で話してくれました。佐藤さん素敵です。
取材はこれにて無事終了です。
もえさんの感想は・・・
「横浜金沢には、史跡があちらこちらにあり、とても充実した歴史散歩になりました。 関連資料の展示や、石碑などもあり、まさに大河ドラマの世界を体感することができます。歩き疲れたら是非立ち寄りたいカフェ金澤園は眺めも良いので、時間を忘れてゆっくりしてしまいそうでした。今回巡った場所以外にも、史跡はまだまだあり、鎌倉時代ゆかりの地には「鎌倉殿×横浜金沢」ののぼり旗が立っているのでそれを目印にまた巡ってみたいと思います。」
もえさん、本当にお疲れさまでした。
※取材は新型コロナに配慮して感染予防をして取材に臨んでいます。写真撮影時のみマスクをはずしています。
<取材協力先一覧>
※施設やお店の営業時間などは変更になっている場合があります。事前にお調べになってからお出かけください。
(一社)横浜金沢観光協会
https://yokohama-kanazawakanko.com/
横浜で鎌倉時代を旅しよう!
https://www.welcome.city.yokohama.jp/...
神奈川県立金沢文庫
https://www.planet.pref.kanagawa.jp/...
カフェ金澤園
http://www.kanazawaen.com/
カフェ金澤園インスタグラム
https://www.instagram.com/kanazawaen1916/
協力:(公財)横浜観光コンベンション・ビューロー
(一社)横浜金沢観光協会
レポート:小嶋 寛
写真:清水和成