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ヨコハマ再発見

ヨコハマメリーさん【ヨコハマ再発見】

横浜を初めて訪れた方も、もちろんハマっ子も!横浜の歴史に触れることにより、もっと横浜が好きになる「横浜観光親善大使と巡る歴史旅 ヨコハマ再発見」!
今回は、横浜を代表する女優五大路子さんの一人芝居「横浜ローザ」が「KAAT神奈川芸術劇場」で上演されます。毎年8月の終戦記念日をはさんで上演され今年上演25周年記念となる「横浜ローザ」。今回はそのモデルとなった「ヨコハマメリーさん」にゆかりのスポットを巡ります。


さあ!横浜市営地下鉄伊勢佐木長者町駅からスタート
旅のナビゲーターは、第18代横浜観光親善大使の稲垣薫(いながきかおる)さんと第17代横浜親善大使の川内美月(かわうちみずき)さん。今までにない歴代観光親善大使を越えた夢のコラボレポートです。
スマートフォンで「my route」で検索!二人とも楽しんでレポートお願いします。



©森日出夫

さて、皆さん「ヨコハマメリーさん」のこと知っていますか?
メリーさん(本名不詳)は、横浜の中区の馬車道・伊勢佐木町・福富町の中心部でしばしば目撃された娼婦だったと言われています。役者のように白粉を塗り、フリルのついた純白のドレスをまとって、大きな紙袋をもって街中を歩いていました。戦後、進駐軍兵士相手に身体を売っていたと噂され、「白狐様」「クレオパトラ」「きんきらさん」などの通り名で呼ばれていたと聞きます。1980年代に入った辺りから「港のメリーさん」と呼ばれ、後年ドキュメント映画がヒットした影響から「ヨコハマメリー」「ハマのメリーさん」などと呼ばれることが多くなりました。


この写真は、昭和20年代の日活劇場とオクタゴンとフライヤージムの様子で、当時伊勢佐木町周辺は日本の商店や居酒屋、米軍の劇場などカオスの状態でこの裏にはかまぼこ兵舎がありました。(横浜市市史資料室所蔵)


戦後まもなくの横浜は、中区・西区などの主要施設は米軍に接収されていて街に米兵があふれていました。メリーさんも、そんな時代に登場し、多くのハマっ子に目撃された人物でした。(横浜市史資料室所蔵・年代不詳)


現在は、イセザキはショッピングゾーンとして整備をされ、モールとして横浜市民に愛されています。


ここは、伊勢佐木町4丁目のイセザキモールにある「伊勢佐木町ブルースの碑」です。「伊勢佐木町」の名は、青江三奈のヒット曲「伊勢佐木町ブルース」のおかげで全国に知れ渡ったと言っても言い過ぎではありません。青江三奈さんが亡くなられたとき、悲しむ伊勢佐木町商店街の商店主のみなさんは記念碑の建立を企画し、2001年の7月に協同組合伊勢佐木町商店街創立50周年記念事業としてこの碑が建立されました。
グランドピアノをモチーフとして、前面には青江三奈の肖像のレリーフと、その下には作曲家鈴木庸一直筆の「伊勢佐木町ブルース」の楽譜を刻んだパネルが埋め込まれています。
台座部分にはスピーカーが内蔵されていて、スイッチを押すと「伊勢佐木町ブルース」が約1分間流れます。


イセザキモール1・2stの入り口の吉田橋やってきました。横浜を象徴するショッピングモールの入り口ゲートです。


上の写真は、同じ吉田橋の、1946年7月の米軍のパレードです。現在の首都高の道路は、川でした。このパレードがのちの5月3日の「国際仮装行列」の原型となったものです。(横浜市史資料室所蔵)


1961年のイセザキの同じ吉田橋で、第9回みなと祭国際仮装行列の一コマです。当時のゲートやまだイセザキはモール化前で、通りの左右にアーケード(ひさし程度のもの)がありました。(横浜市広報課写真資料)