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ヨコハマ再発見

氷川丸の歴史を巡る旅【ヨコハマ再発見】

横浜を初めて訪れた方も、もちろんハマっ子も!横浜の歴史に触れることにより、もっと横浜が好きになる「横浜観光親善大使と巡る歴史旅 ヨコハマ再発見」!第3回目は、今年90歳を迎える日本郵船氷川丸(以下氷川丸と記載)を中心に、山下公園周辺をご紹介します。


旅のナビゲーターはもちろん第18代横浜観光親善大使の稲垣薫(いながきかおる)さんと首藤櫻(しゅどうさくら)さん。「歴史旅 ヨコハマ再発見」、すっかり“いた”についてきましたね!今日もご案内よろしくお願いします!


今回の出発はみなとみらい線「元町・中華街駅」から。スマートフォンアプリのマイルートを起動して、いざ出発!


まずは徒歩で山下公園へ。
山下公園は、1930年に開園した公園で、関東大震災のがれきを埋め立てられて造られました。海への眺望、記念碑や歌碑など見どころの多く、横浜ベイブリッジや港を行き交う船の眺めが素敵です。童謡で馴染みの深い「赤い靴はいてた女の子」像や、在日インド人協会から1937年に寄贈された「インド水塔」、姉妹都市であるアメリカ・サンディエゴ市寄贈の「水の守護神」など、海外との豊かな交流を感じさせる記念碑が多いことでも有名ですね。また、山下公園は横浜のバラの名所でもあり、毎年春と秋の時期には、「未来のバラ園」にたくさんのバラが咲き誇ります。

そんなこんなであっという間に日本郵船氷川丸に到着。横浜の観光のシンボルの一つとしてハマっ子にはおなじみです。


まずは、氷川丸の歴史をご紹介!


提供:日本郵船歴史博物館 「竣工時の氷川丸」


氷川丸は、日本郵船が1930 年にシアトル航路用に建造した貨客船で、当時の最新鋭の船として竣工しました。戦争中は海軍特設病院船となり、終戦まで沈没を免れ、戦後は貨客船に戻り1953年にシアトル航路に復帰。船齢30年に達し第一線を退くまでに、太平洋横断254回、船客数は2万5千余名と活躍した、歴史深い船です。1960年に引退した後、1961年より、山下公園前に係留保存され、2008年に「日本郵船氷川丸」としてリニューアルオープンしました。戦前の日本で建造され、現存する唯一の貨客船であり、造船技術や客船の内装を伝える貴重な産業遺産として高く評価されており、2016年に重要文化財に指定されました。そして今年めでたく90歳の卒寿(そつじゅ)を迎えました。



それでは客室からご案内します。お部屋は狭いですが、クラシカルホテルのようなお部屋で、なんとお風呂もあるんですね。客室の廊下の窓からのワンショット。みなとみらいが丸い船窓から・・・とてもインスタ映えする景色です。


船が海外へ渡る唯一の交通手段だった当時、氷川丸にも多くの著名人が乗船したそうです。映画「街の灯」の完成後、日本を観光で訪れていたチャーリー・チャップリンは1932年横浜から氷川丸に乗船して帰国の途に就きました。講道館柔道の創始者、嘉納治五郎は1938年カイロで開かれたICO総会に出席し、柔道普及活動を行っての帰路、バンクーバーから氷川丸に乗船し、船内で帰らぬ人になりました。そういえばNHKの大河ドラマ「いだてん~東京オリムピック噺~」でもその船内の様子が撮影セットとして描かれていましたね。


提供:日本郵船歴史博物館 「氷川丸 絵葉書」


ここは一等食堂。一等船客専用のダイニングサロンです。長旅の唯一の楽しみは食事だったそう。船幅いっぱいにスペースをとった広い部屋、アール・デコの装飾、中央の高い天井などにより、メインダイニングとしての豪華なしつらえです。隣には一等児童室も兼ね子供の世話をする「スチュワーデス」と呼ばれる女性乗務員もいたそうです。でも船の構造って、真ん中が高くて船の両端に向かって傾斜しているんですね。ちょっと面白いですね。